【さいきんのできごと】
・ みんながまめ子をなでにきてくれた
・ ももじろうで変態ロック熱狂ライブ
・ 藻にからまれたのち雨に打たれる
・ 変体仮名の解読
などなど、夏を満喫しています。
さて、かねがね思っていたことですが、昨今のゆるキャラについてです。
昨今、ゆるキャラの薄味化が進んでいると思っているのは、わたしだけではないでしょう。
みうらじゅん氏による元来の定義としては、たしか、
「地元の人が愛をこめて一生懸命考えて作ったにもかかわらず(あるいはそれゆえに)、なんだかかわいそうなことになっているオマヌケキャラ」
というのが、ゆるキャラの条件であったように記憶しています。
よって、わたしの中でのゆるキャラの代表格はたとえば、京都市北区御薗橋801商店街のマスコットキャラ: 「やおいちゃん」でありました。
・ 「ああ、一生懸命考えて作ったのだなあ」と想像されるごてごてさ加減
・ なのに、結果的に何ものなのかさっぱり分からない (賀茂茄子にはとても見えない)
・ うっかりかわいそうなネーミングになってしまっている
・ うっかり本来の意図とは別のところで人気者になってしまった
・ そして、ぜんぜんかわいくない
などなど、本来の定義における「ゆるキャラ」の資格を存分にそなえた、(かわいくないけど)愛すべきキャラクタであるとおもいます。
しかし、昨今のゆるキャラは、このごてごてさや手作りゆえの野暮ったさを捨て始めているようにおもいます。
この現象は、ひこにゃんのブレイク以来の現象ではないでしょうか。
ひこにゃんは、勿論すばらしく愛らしいキャラですが、その愛らしさは、本来の定義の「ゆるキャラ」の範疇には属さないものであると考えます。
たしかにその佇まいはゆるっとした効果を醸していますが、そのデザインは洗練されすぎていて、造型技術的にはまったく「ゆる」くないのです!
(なお、わたしのひこにゃん詣でレポはこちら。)
そう、ひこにゃん以降、「ゆるキャラ」の定義が微妙に変化したようで(つまり、デザイン過程のゆるさから、演出としてのゆるさへ)、最近のゆるキャラは、ひこにゃんに続けといわんばかりに、白くてもちっとしてのっぺりして薄味な奴らばかりです。しかも、ちゃんとかわいいし!
例1) しろまるひめ (姫路城)
ほんのり桜色のもちっぽいデザイン。
シンプルだが、さりげなくまつげが生えてたりしてかわいい。
例2) きーぼー (安城市七夕まつり)
先日M嬢に教えてもらったご当地キャラ。
ぬぼっとした顔と、伸びたもちのような体型になごむ。
……というように、どれもシンプルでなかなかかわいいではありませんか。思えば、白くて薄味というのは、サンリオのキティちゃんに代表される日本のキャラ文化の伝統にもちゃんと乗っかっています。そしてそこに、やおいちゃんに見られるような、無駄な苦闘の痕は見えません。(苦闘したのかもしれないが、その痕を見せないという点で、やはり洗練されている。)
そう考えると、あの物議をかもした「せんとくん」は、完全にこのゆるキャラ薄味化の流れの文脈に反した、かつてのゆるキャラの勢いを具えたゆるキャラであったのでないでしょうか。彼の登場はまさに、精神分析用語でいうところの「抑圧されたものの回帰」であったのです。彼があれほど強い拒否反応を呼んだ理由は、そこにあったのでありましょう。
ですが、白薄味系のゆるキャラも、「まゆまろ」(国民文化祭京都2011)まで進化してしまうと、
「こ、これ、いいの? ありなの?」
とぎょっとさせられる効果を生んでしまいます。
これいいんですか? ありなんですか? なんぼなんでものっぺりすぎやろ。下半分なんもなさすぎやろ。