栗の花の咲くころ

たとえば、ほんとうに悪い予感がかけらもないとき、ひとは、「悪い予感のかけらもないさ」などと声を振り絞ったりしやへんとおもうのですよ。




こどもの頃は、こわいものがやたら多いこどもでした。
壁の模様(顔に見える)、天井の木目(顔に見える)、道端で雨に濡れてくしゃくしゃになってる紙くず(対象a?)、象の影(窓に移る魔法瓶の影がゾウの形に見えた)、五味太郎の『くろのほん』という絵本、志村けんの白塗り、いかりやチョーさん、など。
だから、よその家では、「ドリフの番組なんて観ちゃいけません!」と言って子供を叱るのに、我が家では、悪いことをすると、
「『全員集合』見せるで!!」
というて脅されるのでした。

こわいものの中に、アレもありました。
人が死んだ家の玄関先に貼られている、薄墨色の縁取りの中に、「忌」と書かれた紙。
あの紙を見かけると、そのあたりに重々しい不吉な空気が漂っていて、何か悪いことが起こるような予感がして、通学路に「忌」が貼られている家を見つけると、そちらに目をやらないようにそそっと前を通り過ぎたものです。何ヶ月かして、その紙がはがされていると、やっとほっとしました。
だから「忌」って、いやーな気分になる、不吉でコワイ文字だったのでした。


震災やらサリン事件やら大きな悪い事件が続いた年のことでしたか。
どういう文脈だったかは忘れましたが、キヨシローが、「だって僕の名前は忌野なんだぜ!」と言うていて、かっこえー! とてんしょん上がったことを記憶しています。
世に出たときから、忌中。
たくさんの不吉なもの・悪いもの・忌まわしいものをその名に内包しながら、声を張り上げ踊りつづける、なんてちからづよく優しいことよ、イェー、とおもったのでした。
そんな名を自分につけたなら、そりゃ戒名など要らないよね、イェー、とおもいます。

わたしは普段低てんしょんなので、イェー、とかあんまり言いませんが、心の中ではよく イェー とおもっているのです。


今日、東京では、お葬式があって、たくさんのひとが参列したそうです。
お葬式なのに、イェー、とかいって、とても、にぎやかだったと聞きました。





イェーついでにひとつ思い出(のようなもの)。
高校のとき、しょうせつ(のようなもの)をかいたような記憶があるのですが。。
(べつに、投稿とかしてなくて単に書いただけ。吉本ばななちっくな文体でいま読むとたぶん恥ずかしい。)
離人症の女の子が主人公で、その子が、親友が死んだことをきっかけに声がでなくなるとかなんとかいう話だったようにおもいます。
で、親友の遺した何か(なんだったか忘れた)とカセットテープ(前時代的ですね)を見つけて、声が出るようになるんですが、そのカセットテープに入ってた曲が、RCのスローバラードやということになってたのでした。
恥ずかしいんですが。。
でもよくありますよね、プロの書くものでも、挿入歌風に音楽を使って完全に挿入歌負けしてる小説とか。
それで、その死んだ親友というのは、勝手にナメちゃんをモデルにしてました。
ナメちゃんごめん、長生きしてくれ。。。

なんかたくさん書いてしまいました。生きてるやつというのは、生きてる間というのは、まったくもって、散文です。イェー(心の中で!









http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090509/msc0905091549013-n1.htm