人など好きになったからお前今日からヘビ少女

由ありて引き続き楳図かずおを読み返しているのですが、読み返す度にリスペクトを深めています。
「リスペクト」などという語は滅多に使わないのですが、楳図先生には躊躇い無く使えてしまいます。
「先生」という呼称もあんまり使わないのですが、楳図先生は、先生と呼びたくなる数少ないお方ですね。ご本人は、「先生」と呼ばれるのはお嫌いだそうですが。


さて最近、自分内楳図ブームが昂じ、楳図さんのCD『闇のアルバム』を購入しました。
これは、1975年のLPに、ボーナストラックをつけて復刻したものとのことです。
ほぼ全曲が楳図先生による作詞作曲。もちろんヴォーカルもご本人。曲は、歌謡曲風だったり、ロック調だったり。数々のバンドを組んできた楳図氏だけあって、歌はお上手です!


曲のタイトルは、「洗礼」とか「ヘビ少女」とか漫画のタイトルそのままで、つまりそれぞれの作品のイメージソングになっているわけですが、どの曲も、漫画の内容から少しずれた風味になっているところが憎いです。
たとえば、「漂流教室」では、恋人の待つ家を思う歌詞がほんわりしたポップス調メロディに載せて歌われるのですが、あの名作『漂流教室』を思いながら聴くとき、そのせつなさよ!!
「僕の家では誰が僕を待っているのだろう、帰ろう」と明るく歌われるのに反し、『漂流教室』の子供たちは二度とお母さんの待つ家へ帰れないのだもの!


一方で、その漫画作品と共通するのは、ふしぎな生真面目さです。
楳図漫画を読んでいるとときどき、「子供がいっしょうけんめい大人の世界を想像して描いている」ような印象を感じることがあります。
これは貶しているわけでなく、「リアリティがない」と言いたいのでもなく、律儀に生真面目に何らかの定型をなぞった結果、ぜんぜん新種のリアリティが生まれてしまったような印象です。たとえば、ヘンリー・ダーガーが確信を持って女の子の股間に男性器を描き込んでいるのを見るときのような。
そんな印象が、楳図音楽と楳図漫画に共通してるなあと思ったのでした。歌謡曲なりロックなりの定型を生真面目になぞっているうちに、なぜかやっぱり過剰になって、なんともいびつなものが生まれてしまっている感じです。

作家とその音楽作品の関係、という点では、深沢七郎のギターを聴いたときの感銘にも似ているなあと思いました。いや作品の傾向はぜんぜん違うんですが(注:個人的にはある意味似てると思いますが)、「ああ、ああいうのを書く人が、こういう音を出すのだなあ」という納得の出来方が。


ちなみにわたしのお気に入りは、三曲目「ヘビ少女」です。妖しい民族音楽調から、急に時代劇のようなムードになるところがイイです。


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