三周年

じつは、今日は、三年目の記念日です。
我が家に愛犬がやってきて、今日で三年になるのです。

三年前、彼女は、ひとり(いっぴき)街をうろうろとさまよう迷いいぬでした。
さまよっているところを町内の人が捕獲し、近所の空き地につなぎました。
町内の人たちはいぬを囲んで、「町内」という名前にして町内で飼おう、など盛り上がっていました。
その盛り上がりを聞きつけて、わたしも軽い気持ちでいぬを見物しにゆきました。それが、初めて彼女と顔を合わせた瞬間です。
当時、まだ犬が怖かったわたしは、こわごわそのいぬに近づいたのですが、目が合ったその目は、なんとも情けなく、気まずそうにへにょっと上目遣いになっています。
ひと目見て、
「うああっ、何っ、この情けない犬!!」
と、何か運命的なものを感じたのでした。
その数時間後彼女はいもうとに連れられて我が家に迎えられ、結局そのまま今日に至るわけなので、実際運命犬であったわけですが。

しかもその日はちょうど、我が家が長年営んできた店を畳むことになり、倉庫の在庫商品を一掃した翌日だったのです。
つまり、それまで我が家には動物を飼うスペースなどなかったのですが、その日、倉庫が空きスペースになったわけです。
これが運命でなくて何でありましょうか。


彼女の前歴はまったく不明でした。どこから来たのか、どれくらいの期間放浪していたのか。捨てられたのか、逃げてきたのか。
既に成犬で、子犬を産んだらしい形跡もありました。
ともかく何日かの間、われわれはいぬに名前を付けず、とりあえず元飼い主探しに勤しむことにしました。
気質が大人しかったことなどから、生まれながらの野犬ではなく元飼い犬であろうと推測されたからです。
また、中途半端にでかいサイズのそのいぬを、うちで飼い続けることに戸惑いもありました。しかし、飼い主は見つかりませんでした。
一週間も経つ頃には、名前もついてしまい、われわれはすっかり、「もう誰にも渡すものか」という気持ちになってしまっておりました。
彼女も、最初はいちいちわれわれに怯えていたのが、少しずつ馴れてきて、撫でさせてくれるようになりました。
それから腹を見せるまでに半年かかり、名前を呼んで振り向いてくれるまでに一年かかり、未だに子犬から育てた犬のようにはなついてくれてはいませんが...。


我が家に迎えた日、彼女は、毛に大量の蚤をくっつけていたうえ、生理中で血を流しており、ごりっと痩せ、常にびくびくする仕草と卑屈な眼差し、という、非常に情けない状態でした。
今は、まめ洗いとまめえさによって、ふわふわもちもちしたいぬになりましたが、情けない表情は変わらずです。


じつは、わたしはこれまで、いろんな犬ブログを見ながら、ああっ自分もブログで愛犬を紹介したいっ、という思いに駆られていたのですが、

・元飼い主が見つけて、「これはうちのエリザベスだ、返してくれ」とか言ってきたらどうしよう
・あんまり可愛くて盗まれたらどうしよう

という不安のため、控えておりました。
しかし、前者については、あれから三年も経ったことですし、後者については、各方面からの指摘によりどうも可愛く思っているのは飼い主だけであるらしいことが分かってきたため、ぼちぼち愛犬自慢に参入しようかと思っております。



【まめ子三年目の寿ぎ】
まめの代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 犬のむすまで