例のパイロン、その後 (現代人の姿)


大阪のある地点を通過するたびに、目を遣らずにはいられない、あのムカデパイロンがまだあの姿のままあの場所にありました。




【採取地:大阪 梅田】




識者は語りました。
「このパイロンの怖いのは、このパイプに埋め込まれてもう二度と動けない身体なところ。
パイロンとはそもそも『立入禁止』などをフレキシブルに表示するためのものなのに、その役目ももう果たせていない!
そしてこいつは、この施設が取っ払われるまでこのままだ!」


そう、そして多くの現代人は、動けないこのパイロンを己に、覆い被さるこのパイプを会社に、人間関係に、資本主義に、重ねずにはいられぬのでないでしょうか。
或いは、管につながれ生きながらえている自分たちの姿を、彼(パイロン)に重ねずにはいられぬのではないでしょうか。
その一方で、梅田の片隅でちんまりと項垂れる彼(パイロン)の姿に、マゾヒスティックな悦びをも見出さずにおられぬのは、独り私だけでありましょうか。