まめ子は最後までまめ子様だった(犬三周忌)

早いもので、まめ子の三度目の命日です。
三年経ったけれども、まめ子を可愛く思う気持ちは薄れることがありません。未だにまめ子の夢を見、「かわいいよ〜」と思います。ペットを飼ってる友人の話や、小さな子を育てている友人の話を聴いては、いちいち「うちのまめ子もそうだった」とまめ子を引き合いに出してしまいます。


まめ子のことを思い出すたびに、まめ子はほんまにええ犬やった、最高犬やったと、まめ子の良き面が浮かびます。
まめ子は、一般的に見てええ犬だったかどうかは分かりませんが、少なくとも我が家にぴったりの犬でした。
まず、やってきたタイミングからして、ぴったり。
(この話は何度も書いていますが)ちょうど家業を廃業し、「スペースができたから犬でも買おうか」という話をし始めたその翌日だか翌週だかにやってきたのですもの。
しかも、まさに「犬を飼うんやったら可愛い愛玩犬よりも人間臭い犬がええわ。人の顔色を窺うようなちょっと卑屈な犬が好きやわ」と母が話していた、その通りの犬が来たのです! どこかでわれわれの話を聴いていたとしか思えません。


そう、まめ子はたしかに、その情けない顔つきの通り、どこか卑屈で気の弱い犬でした。われわれを攻撃しようとして不意に思い直したように手加減したり、何か気に入らんことがあって吠えまくったあとで、「あ、吠えてしもた……ごめんな、ごめんて」と言うように、チロ…チロ……と手を舐めてくれたり。言い換えれば、優しい犬でもありました。
冬の夜はよく、居間でぬくぬくしていたいまめ子と、夜中に居間が荒らされることを懸念してまめ子をまめ子小屋に帰したい母の間でバトルが起こっていましたが、
「うわわわんわわんんぐぐぐぐむむむうわわんんもんもーわわう!!」
と、どう考えてもほぼ人間語のように聞こえるイントネーション (ホンマに「なんでうちだけ小屋に戻らなあかんねんーいやや!」とか言うてるように聞こえた)で一通り文句をこぼした後、結局、
「わわわんうぐむむんもんもんも……」(「そんな言うんならしゃあないわ……」)
とすごすご小屋へ帰ってゆく様子は、哀愁漂うものがありました。



しかしふしぎなことに、情けなくて気が弱い一方、まめ子はどことなく女王気質な風格もあり、その多面性がまめ子という犬の魅力でありました。


かつて、「まめの十戒」(「犬の十戒」をまめ子風に改変したもの)という記事を書きましたが、まめ子はだいたい、こういう感じの犬でした。
成犬になってから飼ったせいでしょうか、どこか独立独歩。みんなが寄ってたかってチヤホヤしてるときにシラーッとした表情をしていたり、「まーめまめまめ」と撫でまくると溜め息をつかれたり、撫でようとするとスッと身体をかわされたり、ということがよくありました。
その性質は、晩年、逝く寸前まで変わりませんでした。
体調が悪くなった頃のまめ子は、茶の間で具合悪そうに伏せっていましたが、心細くないようにそばにいてやらねば、というこちらの思いをよそに、決まった時間になると 「ほな、ちょっとひとりになってきますわ」 と立ち上がり、スタスタと自分の部屋へ移動してゆく様子は、病犬ながら気高く頼もしくもありました。
まめ子がそんな孤高の一面を見せるとき、われわれはまめ子を「まめ子様」と呼んでいました。「まめ子様、ひとりで行かはったわ」「ちょっとまめ子様にお仕えしてくるわ」。


最後の数か月は、足腰も弱っていたのか、それまでふつうに越えていた段差が越えられなくなったり、高いところに登れなくなったりしました。
まめ子は、神社の石段に座ってだらだらすることや、公園のベンチに上がってゆっくりすることが好きでしたが、お気に入りの石段やベンチに自力では上がれなくなってしまいました。
しかしまめ子は、特に焦るふうでも哀しげにするでもなく、石段やベンチのふもとまで来ると、そこに むうっ とした表情で立ち止まります。
乗りたそうな感じを出しているのを察知した私が、後ろからだっこして持ち上げてやります。晩年のまめ子は20kg近い体重があり、なかなかの労働でした。
そうやって石段やベンチに乗っかると、まめ子様は満足げな表情で、うとうとしたり手をぺろぺろ舐めたりと好きなことを始めるのでした。抱き上げるときは少しこちらに協力して身を委ねてくるのが可愛いのでしたが、乗っかった後はあたかも自力で乗っかったような風情でした。
私に対しては、「ご主人様、ありがとうワン!!」とか全然思ってなくて、「あ、エレベータ来たわ」くらいの感じだったと思います。




石段に乗せられて満足するまめ子


ベンチでひとりで愉しむまめ子


気持ちよくなって寝てしまうまめ子