ゆまに書房の『文藝時評大系』、昭和篇3 がやっと出ました!
わーいわい。いろんな新聞・文芸誌に掲載された文芸時評が一冊にまとめられた、超ありがたい本です。
個人的には文芸時評という文化は、なんとなく敬遠されるものなのでありますが、たまに必要があって昔の記事を漁ることがあります。
しかし文芸時評ばっかしこんなにまとめて読む機会というのはなかなかないので、こうして時代順に見てゆくと、新たな発見がいろいろあって面白いですね。
今ではほとんど名前を聞かない作家が評価されていたり、逆に、今や既に古典扱いの作品が酷評されていたり。
あと、「女流文学」の位置づけには驚かされました。昔は「女流」ってだけでずいぶんひとくくりにされたんですなア。女性作家の作品ってだけで「はいはいこれは女性の感性であるはいはい」みたいに片付けられたりとか、昔の男の批評家は、ずいぶん「女流」論が好きなようです。「男流文学」という語の意義がヤットようわかりました。
あと、個人的に感慨深かったのは、深沢七郎「風流夢譚」と大江健三郎「政治少年死す」が同時期であるということは知っていましたが、それらと同年に倉橋由美子「どこにもない場所」と森茉莉「恋人たちの森」も書かれていることです。
いずれも自分にとって思い入れ深い作品であるので、リアルタイムでこの年に生きてみたかったものです。
いずれに関しても、「なんじゃこりゃ、わけわからん」みたいな評がついてました。
ところで、わたしが文芸時評というものをついつい敬遠してしまう理由のひとつは、文芸時評文体のようなものの、なんでそんな自信満々なんだ、というところにあるのであろうと思いますが、そのうちで、もっとも「そんなんありか!」と思った文を紹介しておきます。
時評子である吉田健一が、前号の時評で池波正太郎の作品を司馬遼太郎の作品として紹介し、司馬遼太郎の作品を池波正太郎の作品として紹介するという間違いをしてしまい、この号はその訂正から始まるのですが………
「(前略)両氏に対して申し訳ないことをした。しかしながら、これは両氏にとって少しも不名誉なことではないということを言って置きたい。こういうことはいつもどの作者に対してでも望めることではないが、作者の前に作品が来て、われわれが一つの作品で完全に満足させられた時、その作者がだれであるかはほとんど付け足りで、後になって思い出すものであることは、実際には文学の常識であるはずであって、それが今日では逆に考えているのに過ぎないのである。従って、作者の名前を間違えるということもありうる。
今日ではそれが逆になって、作者の名前で読まれている作品もあるのは、作品というものが売りものになり、作者の名前が登録商標の役をして、それに文士というものに対する不思議な買いかぶりも加わり、そういう外部からの摩擦が重みを作品から作者の方に移すように強く働きかけているからに違いない。しかしそれが誤りであることに変わりはないのである」
(「大衆文芸時評」吉田健一 (『読売新聞』昭和39.4.4) 注:強調はぬらたによる)
そ…そんな!
文字通り、転んでもただでは、といいましょうか。ふつうなら平謝りで終わるところを、「傑作は作者以前に存在する!」という文学論に持ち込み、「文学の常識」とかいうて、なるほど、取り違えられたのはむしろ作者にとって名誉なことだったのだな…と思わせてしまうお手並み。そして最後にはとうとう、「間違ってるのはあっちのほうだ!」。その自信はどこからくるんだ!!
急に、吉田健一のことが好きになりました。
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