父の帽子

――《あたしはパッパとの想ひ出を綺麗な筐に入れて、鍵をかけて持つてゐるわ》 (「刺」)


さいきん、じぶんの中で何度目かの森茉莉ブームが訪れて、います。(茉莉風句読点)
だが、今回のブームは、なんだか泣けてしまひます。年をとった所為で、せうか。

今回のブームは、「父の帽子」「幼い日々」などの初期の随筆が中心です。
『甘い蜜の部屋』『恋人たちの森』といった絢爛小説群――なんて、野暮な呼び方――でもほかになんと呼べば可い? 矢川澄子女史に倣って「密の文学」群、とかでしょうか――から茉莉ワールド入りした読者=わたしとしましては、文体も比較的堅実なそれら随筆群は、少し地味な印象で、「『甘い蜜の部屋』を書いた人の生い立ちなどが書かれている資料」という意味しかもっていなかったのでしたが、今回読み返してみましたらば、「昔の記憶は、夢のやうに淡い。遠い、白い昔の夢は、底に熱でもあるやうに、幸福な思ひを内にひそめて私の胸の中に、満ちて来る」「毎日、毎日、新しく始まる幸福な日々だつた」――あれ、こんなところにこんなに素敵な一文があったのか、噫、こんなところにも、の連続で、そうするとお茉莉の大好きなパッパのことがモット知りたくなって、いまさらながらに『新潮日本文学アルバム 森鷗外』とかとしょかんで借りてきました次第です。


お茉莉は、綺麗な筐を大事そうに開けては、その中に綺麗に仕舞った「パッパとの想ひ出」を、ひとつずつわれわれに見せてくれます。
それなりに幸福な幼年期を送らせていただいたとはいえ、茉莉のようには溺愛された記憶もなければ「泥棒しても×子がすれば上等よ」なんぞと言われたこともなく舶来の洋服もかおあらうおゆも知らないわたしには、彼女のこうした思い出話&パッパ自慢は、どうもヨクわからんものであったのですが、今回読み返してそれらがびしびしと涙嚢その他に響いてきましたのは、それが既に失われた幼年期であって、いまはひとり、――当の父も母も、戦火で焼けた観潮楼も、無いところで――書いている筆者、というものに思いが至ったからでありましょう。
殊に「刺」と題された短い文章。彼女の胸に「小さな、鋭い刺」を残した父との離別を書いた文章は、読むたび甘く痛いものがこちらの胸にも充満するようです。
当時分からなかった、父の逝ってのちに知った父の心を、作家となり筆を持った彼女がその筆で以って、書く。して書かれた、分かったよ、というメッセージを受け取るべき人は、もうこの世におらず、たとえば何の関係もない一介の読者たるわたしのもとへそれが届くしかないのは、誤配なのでしょうか。


茉莉のお父さんは、未来に茉莉が作家になることを知らずに亡くなりました。
父の作品を越えたと自負するものを書いた後、「父に私の小説を読んでもらえたなら」、と、文章の中で茉莉は何度も叶わぬ仮定をしています。
晩年、70台に書かれた(例の)抱腹絶倒エッセイ「ドッキリチャンネル」の中でも、「父なら私に同意してくれただろう」「父ならやはり『お茉莉は上等』と言ってくれただろう」なんて記述がときどき表れ、嗚呼この人は死ぬまで父の声を聞いて書き続けていたのだなあ、と思うのです。

とはいえ、死んだ人の声というものはおそらく、自分が年を経るにつれてより大きく聴こえるものであるからには、それは不思議なことでもなく。
また、それは、文章を書くひとの多くがおそらく、聴く声と同じものでもあります。
(わたしも、しょうもない文章ではありますが、何か書くとき、声を聴いています。わたしの場合は父(存命)の声ではないが。)
その声は、懐かしい声ではあるが、というか、懐かしい声であるだけに、その声を聴こうとするとき、聴こうとする人は圧倒的にひとりである。茉莉は何かのエッセイでは、神―父―芸術における自信、を三位一体のように表現していましたが、神の声を聴こうとするには、ひとりにならねばならないのでしょう。とこれは全く個人的な思い入れでありますが、何やかや、書くちうことの難儀さに(書くちうことに対するそんな思い入れはいまやダサいものであろうことは承知の上で)、思わず、瞼も熱くなろうというものです。
蛇足ですが、このひとりであるがゆえに聴こえる懐かしい声、は、少年愛を描いた名篇『恋人たちの森』の最後で、ひとりになった少年が取り戻す矜持や、モイラが父の家に還ってゆく『甘い蜜の部屋』のラストの匂いに似ているとおもうのです。

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泣ける泣けると泣きを強調してしもうたので最後に笑い(茉莉風に書くと「微笑ひ」かね)をば。
抱腹絶倒の「ドッキリチャンネル」は何度読み返しても新たな抱腹箇所が発見されるのですが(今読むと知らない芸能人の名前が多いのが残念だけどそれでもオモロイ)、その中で、とりわけたまらんかった箇所を引いておきます。


前々回に、タモリの本名がたしかに田守と出ているのを読んだと思ったのだが、そうではないという人があって、注意していると、森田一義だった。森田一義の森田をひっくり返して、タモリとしたのだそうだ。多分かずよしと読むのだろうが、私には妙な癖があって人の名前を音読みで読む。(それは父と同じ癖である。父は親友の賀古鶴所ははかくしょ、母の父の博臣ははくしんと読む)その方がいかす名に思えるのである。それで森田一義はもりたいちぎと読み、その名に惚れぼれした。だがタモリの感じは決して、森田一義の感じではない。全く、名は体を現していない。タモリはやっぱり、い守やや守の仲間なのだ。感覚的に正確な辞書があるとすれば、タモリは、い守、や守科に属する動物として、載っている筈である。そうして大きく分類すると、爬虫類の中に入っている筈である。だが、感覚的に正しい辞書というのは世の中にない。学問的に正しいのが、いい辞書とされている。感覚的に正しいのは、上等な文学だけである。


超ワロタ。
自分の感覚に従って、タモリが田守でなくてましてやイモリでもヤモリでもなくて森田である、という強固な事実まで揺るがしてしまう神ぶりよ!「注意していると、森田一義だった」って、注意しなくても森田一義だよ。そしてまたもさりげなく父話。「大きく分類すると爬虫類」というおおざっぱなフレーズもツボです。
しかも最後にはなんだかよくわからないがちゃんと文学論につながってしまっているというオチ。素晴らしい。
こういう人を単に「アイタタな人」として終わらせてしまうのは、やはり世知辛いことやとおもうのです。
ちなみに、この後、タモリのことは少し見直したようでした。
うきうきうぉっちんぐ。




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