名古屋デロリ紀行(1)

ちょっと前のことになりますが、名古屋にいきました。
ある会議のために行き、初対面の方々にもお会いするのできんちょうしていたのですが、なごやかな会になってうれしかったです。
翌日は、観光もできて、念願の矢場とんにも行くことができました。
そして、行きたかった、「桃巌寺」というお寺を訪れました。

名古屋は、大須あたりの雰囲気といい、その食文化といい、なんだか「デロリ」だなあ、と常々感じていたのですが、桃巌寺は実にデロリなお寺でした。

注)「デロリ」とは『芸術新潮』において命名された概念。日本の美意識といえばわび・さびばかりが云々されるが、実はそればかりでなく、濃ゆくてエグいデロリとした世界が広がっているのだよ、ということ。







桃巌寺は信長父の菩提寺ということで、伝統あるお寺です。
境内に入ると、いろんなお花の咲いたお庭が広がっています。
つつじの咲く中に、色とりどりのお人形やおもちゃが吊り下げられた一角がありました。
「生命之根源」と書かれたふしぎな形の碑があります。その陰には、ちいさなこどもの像が座っています。どうやら、水子供養の像のようです。

しかし、独特であるのは、このお寺では水子供養だけでなく、「精虫(たまむし)供養」もおこなわれていることです。
以前、荻野美穂著『生殖の政治学』で、われわれはたとえば「避妊」と「中絶」の間に明確な一線を引いているけれども、その線は自明のものでなくて、時代によって恣意的に規定されてきたものであって、じつは避妊−中絶−間引きはなだらかに連続していたのだ、という議論を読んで感銘を受けたことがありますが、なんかそんなことを思い出したりしました。
ところで、「卵子供養」もやってくれるんでしょうか。
精子はぎょうさんあるからいいとして、数限られた卵子を毎月なすすべもなく見送ってることにけっこうむなしいものを感じているので、卵子供養があれば有難いんですが。。
まあいいんですが。


どことなくエキゾチックな門を通れば、満開のつつじの中に、なんとなく艶っぽい観音さまが立っておられました。


   


お名前は「慕情観音」。名前もなんとなく艶っぽいです。
「じっと見つめていると思い出すことがある」
と貼り紙に書かれていたので、じっと見つめていたところなんかを思い出したような気がしなくもありませんでした。


お庭から、若干山道っぽい道を降りて、お墓のほうへ行きます。
そしてむこうを見やると、木々の中からにょっと首を出しているものが。




うをを、だいぶつさま!!




名古屋大仏です。
1987年建立ですが、その後色が塗り替えられたようで、なんともデロリとした色彩です。
街中にデロリ大仏。なかなかの違和感。

近くにいってみました。
大仏さんの周りには、弟子っぽいひとびとや、ゾウやら鹿やらがうようよしています。
お灯明の台座にも、こまかな動物文様が彫られていました。
大仏さんの前には、ベンチが置かれ、喫煙スペースになっています。
市民の憩いの場に、ということらしいですが、仏像の前でいっぷくって、いいんでしょうか.....








ゾウさん。なんかこわい。







再びさっきのお庭のほうへ上ってゆくと、ねこちゃんがたくさんいました。
しばらくなでてなごみました。





ねこさんの周りを見ると、妙にかわいい犬や猫の石像があります。「愛犬供養塔」と書いてあります。このお寺は、ペット供養もやってはるようです。
同族がねむっていると知って、ねこさんたちも此処に集まっているのでしょうか。
それにしても、人間の墓を見てもべつになんにも思わないのに、犬の墓を見るとしんみりしてしまいます。。


  


まめ子……… 長生きしてほしいな。。


しかし、この後本堂におまいりしたわたしは、しんみりしているどころではなくなるのでした。(次回へ続く)