まめ子の領土拡大

以前に紹介いたしましたとおり、われらの(溺)愛犬・まめ子は、三年前に拾ってきたいぬです。しかも、拾われたとき既に成犬でした。
よって、われわれの同居は互いによそよそしい形で始まったのですが、次第にまめ子はわれわれの心の領域の多くを占有するようになり始め、それと同時に、占有する家庭内物理的領域をも徐々に拡大していったのでした。
その様子、いわばまめ子三国志を、写真入で紹介しようとおもいます。


1) 第一期(〜ひと月め):ごみ箱横

やってきたばかりのまめ子、否、当時はまだ名前がなかったので端的に犬、としますが―― 犬は、ゴミ箱横のスペースをあてがわれました。
ここは、裏口の、言ってみれば家中で最も「ケガレ」的な場所です。
この頃は、早く飼い主を見つけて返してしまおうと考えていたので、犬の仮住まいとしてはこの場所で充分であろうと思われたのでした。
犬も、始終隅っこで居心地悪そうにしておりました。



薄暗い環境で、数奇な運命を託つ犬。



※背後にある琺瑯看板は、商店時代の遺物です。



2) 第二期(〜半年め):倉庫

しかし飼い主は見つからず、そうしているうちにわれわれは、犬を誰にも返したくなくなって来ました。
犬にはやっと、「まめ子」という名が与えらました。
母だけはなぜか、「マギー」と呼んでおりました。
母によると、「正式名がマーガレットやから、ニックネームがマギー」とのことでした。母は、6-70年代少女漫画で育った世代ですので、西洋名に憧れがあるのです。「まめ子」の名が馴染んできてもしばらくは、「まめ子(マギー)」と、「マギー」を括弧に入れて呼んでおりました。

さて本格的に我が家の犬になるとなると、ゴミ箱横の狭いスペースではあんまりです。
まめ子は、旧スペースに隣接する倉庫の一角を、ついには倉庫全体を獲得しました。
商店時代の荷物が撤去されてひろびろした倉庫は、なかなか居心地がよさそうでした。



ずいぶんリラックスしてきた頃。
腹も見せてくれるようになりました。





3) 第三期(半年〜):土間全域

我が家は、土間が表口と裏口をつないで広がる、典型的な造りの京都家屋ですが、半年を過ぎた頃のまめ子は、この土間全域を自由に行き来するようになりました。
表口と裏口には柵を設け、お外に逃げないようにしました。
お昼は表口でひなたぼっこをし、ご飯どきには台所でたべものをねだり、すっかり家族の一員といった風情です。

半年が過ぎたので、拾得物であるまめ子は法的にも正式に我が家の犬になりました。
この頃、わたしは和歌を詠みました。


  八雲立つ 出雲八重垣まめ籠みに 八重垣つくる その八重垣を



八重垣(実際は一重)の中のまめ子。





4) 第四期(二年め〜):百年戦争(実際は二年)の終結

こうしてまめ子が着々と領土を拡大してゆく一方では、父と妹の熾烈な争いがありました。
まめ子の居場所は、あくまで土間に限られており畳上には上げていなかったのですが、畳に上げて一緒にごろごろしたいと主張する妹と、まめ子を愛しつつもけじめはつけるべきだと主張する父は、激しい対立を続けてきたのでした。

しかし、まめ子二年目の夏の日、土間でだれているまめ子を指し、
「あんまり暑そうだ、冷房の効いた室内に入れてやってはどうか」
と言ってみたところ、父はあっさりまめ子を室内に上げたのでした。
妹に禁止した手前できなかったものの、父も実はまめ子と畳でごろごろしたかったに違いありません。

こうしてまめ子はついに、お座敷犬の地位を獲得しました。



はじめて畳に上げられた日。



※奥で寝ているのは当の父。






5) 現在

現在のまめ子は、土間・室内を自由に行き来しています。「二階」「奥の座敷」などを制覇するのも時間の問題でありましょう。

この季節には、こたつで堂々と寝ています。