唾液のように垂れ流せ、の巻



おはようございます。直球投げすぎ疲労気味。
さて本日はヴァレンタインでしたが、アレはもう手に入りましたか?

拙ブログをお読みくださっているモテモテの皆様方におかれましては、両手いっぱいのアレを抱えてさぞお困りであろうと存じます。
わたくしはといえば、今年はじめて、でぱーとの催事場的なところへ潜入しましたが、女子たちの熱気にアテられ、精神が摩滅しました。
だが試食したアレの数々は、どれもこれも大変美味でした。

来世では、是非モテる男に生まれて、トラック一杯のアレの山に埋もれ、一年かけてその山を齧りつくすのが夢です。
来世のために、今からいろいろとがんばっています。
今の私(俺)の力量を以ってすれば、女なんてちょろいとおもいます。


という妄想をすることだけがたのしみの30歳最後の日々です。


以下、近況等。


近況1 【またえいがを観た、或いは初期ミッシェルについて】

先日書きました、Thee映画をまた観ました。二度目。
http://www.thee.asia/move.html

デーブイデーで観ればええやんちう話ですが、もう一度、でかい画面とでかい音で視聴したくなったのぢゃ。も少し前なら、フィルムライヴとかもやってたようですな。年中行事ぽく、毎年一度とかやってくれないものか。

二度目であるのに、ギターの弦がいっぽんだけになって(スクリーンの中の)客電がついて(映画館の中の)客電がつくと、やはり悄然。だが悄然とするために行ったわけであって。
おんがく的とは暴力ちうか、外傷的の別名であったのであるなということを思ひ出したよ、兄よ。(注1)


それで、まあ映画とはあんま関係ないんですが、最近発見したのですが、ミッシェルは、後期を聴いてから初期の曲に戻ると、よりかっこよく聴こえるとおもいます。後期の闇鍋よろしくぐつぐつ煮立つ感じもいいのですが、初期の曲は、からっと絶望的で、どっか可愛らしいところが、好きなのです。からっとしてんのに、音だけ重厚なアンバランスも変でいい。
いじけた詞も、The ピーズとかが歌っててもおかしくなさそう。首から下切り離して、足で沈めて忘れたい、とか言われて、わたしの中の中高生が共感で発狂してます。
たぶん98年くらい以降のイメージにより、男のロック!とかなんとか勇ましい言葉で語られがちな彼らですが、このいじけ時代があるからこそ、かっこいいんでないかと思うわけです。かっこよさとは情けなさであろう? てゆうかわたしは、情けないのんが好きなんだ、まめ子とか。

ここからほんとうは、わたしたちにとって男性性とは、ということ、或いは去勢について書きたいのですが、それは長くなるのでやめた。
メモ) アーネストジョーンズ

↓どうせ「商品はありません」って出たりするんだが…やぷろぐよ
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近況 2 【どくしょかいが始まった、或いは、毒針系】

先日ビラ描いたところの、あたらしいどくしょかいが始まりました。
久しくの砂漠化で、なんかあたらしいことをしていなかったので、ちょっと新鮮。
提案してくれた先輩および動いてくれた後輩に感謝する次第。

いろんな分野に詳しい人があつまって、ありがたいです。
恥ずかしがりやさんなわたしですが(注2)、折角この際なので、浮かんだ疑問は成る丈内的検閲を通さずに(「ググれカス」レヴェルの事項は別として)、じゆう連想式によだれのように垂れ流させていただきたく、心と体を半開きにして参加したいとおもってはいますが…。
今年はなんか半開きが流行るって聞きました。


この間は、機械って結局何ぞ、という、こんぽんてきながらずっともやっとしていたところについて、皆でわいわいできたのがよかったです。
皆でわいわい読むと、ひとりで勝手なイメージの中で煮詰まりながら読んでいたのとは違う世界がひらけてゆくのが、よいですよね。





そして、機械機械というていたら、しばらく忘れておった、いろんな機械のイメージがぽやんぽやんと思ひ出されました。
大学に入学した98年当時、思えばわたしの周囲は、いろんな機械が作動していましたねェ。つるつるの表面のタマゴ型棺桶、人間腸詰製造機械、嗚呼なんで忘れていたのでしょう、憧れの流刑地機械。等々。
そういえば、以前、流刑地機械の絵を描いた記憶があるけれども、あれは何処へ逝ったのかなあ。
記入される、文字をチョクに皮膚に書き入れられるなんてまさにまさに夢の受信体化でしょうか?
そんな夢を何度も見たよ。駆け抜いた荒野に咲いた、
サボテンの毒針で、ならぬ、流刑地機械の毒針で、刺されてわたしは死にませう。







注1) 外傷的というのはあれだ、兄よ、こういうことです。すなわち、普段は、何かしている最中・何か見聞きしている最中に、それと併行して、頭の中で文章を作成していますよね。 つまり、体験するそばから、常時脳内日記執筆状態ですよね。それはうざいが落ち着くことなのでありますが、あんまりにあんまりな只中ぢゃ時折、なんも散文に置き換わらん、散文に凝固しやん、という事態に陥り、そうして産道塞がれ経血如く、アアアアッ出口ないッと煮立つ状態を、外傷的、といったわけです。一方的に受信体にされるちうことです。そうなると、なんかこう、噛みちぎるとか、ひっかくとか、そんな気分になるなアということが98年当時はそういやしょっちゅうあったなあというわけで、98年と云ったわけですが、覚えてるかね。ぎりぎり。

注2) 冗談ですからね!