先日京都に帰った際、国立博物館で「豊臣秀次と瑞泉寺」という展示をやっているのを知り、これは観たい! ということで行ってきました。
日曜でしたんでどーせ混み混みであろうな、ということで、せめて混雑を避けようと朝イチに訪れたのでしたが、特別展ではないからかわりとスカスカ、快適! 知新館を上から下までゆっくり観ることができて贅沢な朝を過ごせました。
常設コーナーで初めて観て印象的だったのは、本(栄花物語)の形を模した硯箱(これ商品化してほしい!!)と鳥型埴輪でした。秋からの法然展のフライング的に『法然上人絵伝』も一部展示されていて、ちょうど女人往生のくだりがあり興味深かったです。
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瑞泉寺の展示は、1階の展示室の3部屋分でした。
瑞泉寺は、木屋町三条下ルに飲み屋などに紛れてひっそり建っているお寺。長浜ラーメンとかの並びです(長浜ラーメンってそういやさんざん前を通っていながら一度も食べたことない! 食べてみたい!!)。豊臣秀次の一族が三条河原で殺されてのちに、その菩提を弔うため角倉了以が建立したお寺だそうです。歴史にはぜんぜん詳しくないのですが、この話には昔から色々思うことがあり気になってきたのでした。「秀次公430回忌」ということでの特集展示だったらしいです。
主な展示品は「瑞泉寺裂」と呼ばれるものでした。美しい刺繍のほどこされたさまざまな絢爛な裂に、和歌が額装されているのですが、それは側室たちの辞世の和歌です。それが一点ずつ延々と展示されており、一室すべて辞世の展示室もありなんともいえん気持ちになりました。
それらの和歌が、どの時点でどのように作られたのか分かりませんが、命の半ばで死を告げられ殺される間際にあっても和歌という定型に思いを託す(定型にしか思いを託せない)人間の営み、について考えてしまいました。多くの歌は、「仏の道へゆく」「秀次の跡を慕う」というような内容でしたが、そんな中で、上洛したばかりでまだ秀次に会ったこともなかったという十五歳の側室の「何の罪もないのにとんだ巻き添えや」という気持ちが滲んだような和歌と、秀次の愛情が遠のいていたらしき側室の「なんでこんなときだけ巻き添えやねん」的和歌が印象に残りました。
つみをきるみだのつるぎにかゝる身のなにかいつゝのさわりあるべき(おいま)
捨られし身にもゑにしやのこるらむあとしたひ行死出の山みち(おすぎ)
額装に使われた裂は、実際に側室たちの遺品だったと伝えられてきたそうですが実際は違うようです(後世江戸時代のものらしい)。江戸期のものがこんな綺麗に残るんやと思いましたがかつては更に色鮮やかであったのでしょう。
ところで秀次といえば、以前京都市立美術館で観た甲斐荘楠音『畜生塚』に強い印象を受けたことが忘れられません。2009年にあったスゴイ展示(「修羅と菩薩のあいだで」という超デロリ企画)で観てしまい「うわあああ」となってしばらくずっと「うわあああ」としていたのですが、昨年再び楠音展で再会することができ、やはり「うわあああ」となりはしたものの今度はその制作プロセスに焦点を当てるような展示だったのでちょっと心が安らかになった(??)のでした……。
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展示観た後、暑かったですが少しお庭うろうろしました。此処は子どもの頃馴染みの場所でした。母に連れられて散歩に来たのとか夏にミミズが熱死してたのとかぼんやり覚えています。当時は庭には無料で入れた気がするけど、どやったかな??
なかなか誰も発見できなそうなところに、ひっそり喫煙所があったので、採取しておきました。
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以前レポートした西門のパイロンも健在! やはり良いお色でした!! 門とコーディネートされている!