木曽路バスツアーの思い出、或いは失われた指環をもとめて

突然ですが、2009年12月のバスツアーの思い出を書きます。

 

べつにたいした思い出ではないんですが、母が日帰りバスツアーに当選したので、一緒に行くことになったのでした。日帰りバスツアーというのは、応募すると高確率で当選し無料あるいは超格安で参加できて、しかし代わりになんかいろいろ買わされるスポット(以下、買え買えスポット)や別に寄りたくもない店に連れていかれる、というやつです。旅行というのは自分で行きたいところへ行くからいいのであって、自分は集団行動も苦手やしちょっとなア、と思ってたんですが、たまには面白そうかなと思ったのと、見せられたチラシに載っていたすきやきの写真が美味そうだったので行くことにしたのでした。

このときは、京都を出発し関ケ原で昼食を食べ妻籠に行って帰る、その過程で買え買えスポットに連れていかれる、という旅程でありました。このツアーの話はこのブログか自分のサイトで書いた気がしてたんですが、たぶん途中まで書いて飽きてupするのをやめたと思われるので、十四年の時を経て今頃書きます。

 

■京都~多賀PA(母指輪事件発生)

日帰りバスツアーの朝は早い。7:30、母とともに早朝の京都駅へ。集合場所付近に近づくと一目で「あの団体や…!」と分かりました。40代後半~70代くらいの女性ばかりの一団で、どうやら私(当時30歳)が最年少の様子。友人同士の参加が多いようでしたが、ひとり参加の人もいて、ひとり参加の人同士もすぐ仲良くなっていました。夫婦も数組いましたが、おっちゃんたちは女性たちの中で概して居心地悪そうでした。

 

京都駅を出発すると、話の上手なバスドライバーさんがの自己紹介をします。「私がシャチョウです」。乗客たちがエエ~とどよめくと、「といいましても、車の長と書いて車長です」。今度は、ああ~ と笑いが洩れ、バスツアーの客たち、理想的なリアクション。そんな感じのなごやかムードでバスは出発しました。

 

観光バスのシートはふかふかでした



バスは京都駅から高速を東へ向かいます。途中、多賀SAでトイレ休憩。しばらく高速道路に縁がなかった私は、知らん間にSAのトイレが綺麗になっていることに驚きつつ、ここで早速無駄な買い物(ご当地キティストラップ)をするなどバスツアーをエンジョイし始めたのでしたが、事件は此処で起きました。バスに戻り、走り出してしばらくした頃、母が

「アアアアッ!」

と叫んだのです。

「指輪をなくした!」

嵌めていたはずのプラチナの指輪が無いというのです。珍しく高価なものだったようで、「高かったのに! 気に入ってたのに!!」と動揺する母。しかし、私はなんとなく変な感じを覚えたのでした。私の頭には、その頃読んだ福満しげゆきの漫画の一場面がよぎっていました。「渡したはずの原稿を編集者がなくしたと思い込み騒いだが、そもそも自分が持っていっていなかった」という失敗談がエッセイ漫画で描かれていたのですが、なんとなくそれが思い出されて、

「そもそも着けてきてへんかったんとちゃう?」

という可能性を提示してみたのでした。しかし母は、

「いや、さっきまで指にはめてた。SAのトイレで手を洗ったときには、この指にはめてたん見てたもん!」

と言うので、ならば手を洗ったときに落としたか手を拭いた拍子に落としたのでありましょう。母は、「無料の旅行に来て高いものを落とすなんて……」としょんぼりしてしまいました。

 

■ 毛皮屋で毛皮を見せられる(買え買えスポット1)

しょんぼりする母と母を憐れむ娘を乗せ、バスは第一の買え買えスポットに到着しました。バスツアーと提携している商業施設で、一般客は入れないのだそうです。バスツアーの客だけで成り立っている商売なんですね。昼食50分、木曽路散策70分という旅程の中で、ここの滞在は90分が確保されています。その分を他に回してほしいが……まあそういう主旨のツアーなので贅沢はいえません。

 

建物に入ると、まずぞろぞろと講義室のようなところへ通され、ゴージャスな感じの女性が出てきて毛皮についての「講習」が始まります。女性は濃いキャラ、妙に高圧的な口調、そして喋りが上手い! 「一番高価なのは若いメスの毛皮なの」「じゃあ逆に値がつかないのは何だと思います? そう、毛の抜けたオスの毛皮よ」というトークで、居心地悪そうにする禿げたおじさんをそれとなくイジったりします。ここ十年で年齢いじりや容姿いじりに対する人々の意識はずいぶん変わったと思われるので、今はあのトークも変わっているかもしれませんが……。

講義室での「講習」が終わると、参加者一同は展示室へ放たれます。ゴージャスなコートなどが並んでいましたが、残念ながら毛皮には興味がないし、第一買えそうな値段のものはひとつとてありません。しかし、この施設に90分滞在(軟禁)と決まっているため、仕方なく毛皮を見るしかない……。

明らかに購買力の無い私のようなしょぼい若年客にも、店員さん(なぜか全員キャラが濃い)がピッタリとマークするように貼りつきます。「毛皮の上で寝たら血行もよくなって健康にも美容にもいいのよ、私もこれで寝てるからツヤツヤよ」とムートン布団を勧められました。30万円。年輩の客は、「入院先にも持っていけばいいわよ」と勝手に病気にされていました。

展示場から出たところでは、ストールやぬいぐるみなどちょっと安めの商品を売っていました。といってもそれなりの値段なんですが、さっきの数十万の値札どもを見せられた後だと安く見えてしまう、という罠です。ドア・イン・ザ・フェイス法というやつでしょうか。

 

ひつじの毛で作られたらしいひつじ。かわいいが…

 

そして母はといえば、ムートンのセールストークを繰り広げる店員さんたちを逆に捕まえ、「指輪を失くしてしもて……ちょっと落ち込んでるんですわ」と愚痴り、「気の毒に、それはムートンどころじゃないわねえ」と同情してもらっていました。強いな。娘はそんなコミュ力(?)無いわ。

添乗員さんに頼み、多賀SAに電話して指輪の落とし物がないか探してもらったのでしたが、届いていないしお手洗いの洗面も確認したが見当たらない、という返事に母は肩を落としました。

関ヶ原

バスに戻り、再び高速へ。バス内では、30万のムートンをこの機会に買ったと話している人もいました。ふええ~。あんな高価なものを買うのは催眠商法的に乗せられた人だけだろうと思ってたのですが、その人は初めからこうしたスポットでのお買い物を楽しみに来ている人のようでした。

 

そんな話を聞きつつ、関ヶ原で昼ごはんです。「麗守都(レスト)関ヶ原というヤンキッシュな表記の店にぞろぞろと通されます(現在は名前が変わっている模様)。庭には「ノーモア関ヶ原合戦という碑がありました。いや、心配せんでもたぶんもうないんとちがうかな……。

その隣の敷地には、やたら気合の入った、合戦の様子を模した人形の姿が見えパラダイスの匂いを感じたのでしたが、後で調べたところによるとこれは、パラダイスファン憧れの地「関ヶ原ウォーランドだったようです! 浅野祥雲による像が多数見られるという関ケ原ウォーランド!! 折角すぐ隣まで来て関ヶ原ウォーランドに寄らなかったとは……こういうときバスツアーはつらいですね。あれからまだ、機会がなくて関ヶ原ウォーランドには行けていません。

 

大座敷に通され、参加者同士相席になります。われわれの向かいは、陽気で喋りづめのおばちゃんに、ほとんど喋らない寡黙なおっちゃんでした。母と団体ツアーに行くと、このタイプの夫婦が必ず一組はいました。普段どんなコミュニケーション取ってはるんやろ(余計なお世話だが)。

昼飯メニューは、茶蕎麦、こんにゃく(酢味噌・母は苦手なので私がもらう)、蒸篭蒸し(豆腐と朴葉焼き)、すきやき。とりあえずこれで「チラシのすきやきを食いたい」という当初の目的は果たしたことになりました。変わった形の漬物は「長老喜(チョロギ)」という生姜を漬けたもので、気に入りました。食後は売店でチョロギを買い、よもぎソフトクリーム(添乗員さんは「草の味」と言っていたけど美味しかったです)を食べました。

 

 

なぜかソフトクリーム越しに自撮り

 

皆が慌ただしく食事を終え、バスは麗守都関ヶ原(と関ヶ原ウォーランド)を後にします。そして次の目的地、妻籠へ。12月なので厚着してきたのでしたが、バスの中はエンジンと差し込む陽射しでぽかぽか、暑いくらいでした。隣の人と「暑いですねぇ」と言い合います。隣は、上品で優しそうな母娘でした。

関ヶ原を過ぎるとき、外に基督看板が見えました。「ああッ! 基督看板や!」と思うもバスは止まってくれません。また高速一宮を過ぎる際に、「おしゃれ貴族」と「南の風・風力3〜風が運んだ物語」を視認!! 「変な名前のラブホテル愛好界」では有名なホテルであったので、うおおお~~ほんまにあったのか!! と感動したのですが、やはりバスは止まってくれず(そらそや)、親と他の参加者の手前あんまり風力3で盛り上がりまくるわけにもいかず、やはりこういうときは個人旅行がええな~~と思ったのでした。

その後、温かさと前日の寝不足(仲間たちと鮭を捌く会があった)で私はちょっとウトウト。その間、横で母はずっと自分の鞄をごそごそと探っていました。どうやらまだ指輪を探し続けている模様でした。

 

指輪を探す母と眠い娘を乗せてバスは走ります――




妻籠

3時前、妻籠着。水車の前で全員で記念撮影ののち、しばし自由散策。皆は街並みを見に行きましたが、なぜかわれら母娘だけ反対方向へ歩き「鯉岩」を見に行きました。思えば奇岩好きはこのときから始まっていたのだな(会津でも塔のへつりに行った)。

 

鯉岩の向かいは、江戸時代後期の町家を復元した「熊谷家住宅」……でしたが、バスツアーの自由の時間は束の間であるのでゆっくり観ることはできず、とりあえず、「長男の嫁」の席の前で母の写真を撮りました。

長男の嫁である母は、すごくイヤそうでした。

 

札所の復元。高々とお触書が掲げられています。当時の管理の形を思います。

 

水車の横で母に撮られる。オレも若いすね。

 

街並みの様子。ここで母の写真を撮りました(下の写真は違う人)。

 

しばし街歩き。タイムスリップしたような街並みに、毛皮屋では所在なさげであった男性たちが一斉にいきいきとして立派なカメラを構え始めたのが面白かったです。

妻籠は、町並み保存を最初に始めた地域だと聞きました。たしかにポストの色も消火器の色もパイロンの色も徹底していました。どのおうちも、家の前に野菜を干したりお花を飾ったりして町と調和しています。わが京都は観光都市といいながらなんか雑然としてるよな……って話をしました(旅行に行っても京都人は京都の話ばかりする例)。

 

 

レトロな煙草屋さん

売られている煙草もレトロで警告表示がありませんでした(このときはもう警告表示が一般的だったはず)。

 

赤旗販売箱まで風情ありました。

 

あちこちにお花が飾られていました。

 

他にも、風情のある郵便局を見たり、民芸品店で買い物をしたり。民芸品店ではナメちゃんに「木曽路」と書かれたぐい呑みを買いました。ナメちゃんは昔、「きそじというのは三十路の次のこと」と思っていたそうです。お父さんがカラオケで「木曽路の女」という歌を歌うのを聴いて、四十歳の女の心を歌った歌なんやな、と理解していたとか。母は箸を買っていました。奥会津に行ったときも母は民芸品店で箸を買っていました。どんだけ箸買うねん。

 

 

 

長い石段があったので登ってみました。

 

お寺でした。

 

超かわいい柴犬がいました!! 

最初唸られたのでしたが、こわごわ手の甲を差し出すと、ふんふん嗅いで仲間と認識してくれたのかぺろっと舐めてくれたのでした。そう、この頃はまめ子が健在だったので、まめ子の匂いがついてたんでしょうね。なでなでするとお澄ましするのに、去ろうとするとそそそっと寄ってくる……という超かわいい犬さんでした。旅先で出会った犬猫のことは、わずかな時間の交流であっても心に残りますね。


島崎藤村の母の生家である「妻籠宿本陣」にも入りました。資料館になっていて、入場料300円(当時)で見学できました。

 

例によって駆け足見学となりましたが、広く薄暗い館内で、こんな伝統を背負った家に生まれたらそりゃあ大変や、とずっしりした気持ちになり、「こりゃあ夜明け前やわ~!」と雑な感想を言い合うなど。葵のご紋がずらりと並んでおり、大名の宿泊部屋(だったところ)は今でも立ち入り禁止でした。展示されている史料は島崎家関係のものが多かったです。

集合時間が近づいてきたので、五平餅(好物)だけ急いで買って駐車場に向かいます。

集合五分前に間に合ったー! と悠々と戻ると、バスの前で、「早くしてくださーい! 集合時間を過ぎています!」と添乗員さんの呼び声。われわれはいつの間にか集合時間を勘違いしており、五分早く戻ってきたつもりが五分遅れて戻ってきたのでした。バスツアーは時間厳守の集団行動! 「こういうツアーって時間までに戻ってきーひんやついるやろなあ」とか笑っていたのに、自分たちがやってしもたのでした。
周囲のおばちゃんたちは「ダメよ~~遅れちゃ」と笑って迎えてくれましたが、添乗員さんには「今一度、時間をお守りいただけますよう皆様ご協力ねがいまーす」とやんわり注意され、五平餅を持ったまま小さくなるわれわれ。こういうのが団体ツアーのつらいとこですね(遅れなければいいのだが)。

 

とりあえずバスの中で撮った肩身の狭い五平餅

 

■ 木工細工の店(買え買えスポット2)

さて、バスは京都へ引き返しつつ、第二のお買い物スポット、木工細工の店に立ち寄ります。出てきたおじさんは、一見寡黙な職人風かと思いきや、弁舌巧みな実演販売を繰り広げます。なぜか芋をふるまわれながらそれを聴く一同。


私は商品に載せられた食品模型の完成度に興味を惹かれていた模様


商品は、お値段だけあって良いもののようでしたが、母はさっきの遅刻ですっかりびびってしまい、「もう遅れたらいややから!」とさっさとバスに戻ってゆきました。

この「集合時間遅刻事件」は母の中でトラウマになったらしく、その後、ヨーロッパツアーに行った際も、ドイツの城の中で迷子になって集合時間に遅れそうになった母はパニックを起こし、そこらへんにいたおそらくほぼ確実に日本語が通じないであろうと思われる外国人(どこの人かは分からない)の子どもを捕まえて「出口どこか分かります?」と訊いて回っていたのでした………。

 

■ 帰途

夕刻になると、あれほど暑かったのがすっかり冷えてきました。疲れたのか、眠り始める乗客も増えました。母と、亡き母方祖父(おぢい)の話などをしました。家族や親しい人との旅行って、なんもないような移動時間とか待ち時間にふと普段しない話をしたりするものですね。

帰りの高速では、再び多賀SAで休憩時間がありましたが、今度は当然ながら往路とは逆側です。母は「向かい側の上りSAに行って自分で指輪を捜索したい!」と悔しそうに言います。たしかに、あるか無いかは別にして、自分がそれを失ったその場所がすぐそこにあるのにわが目で確かめられない、というのはもどかしい。昼飯を食べたり妻籠の町を見たりしてる間も、母の胸の中にはずっと指輪のことがひっかかっていたようで、「せっかく遊びに来てるのになんか今日一日ショックやわ……」と気の毒でした。

しかし、多賀SAを過ぎ、バスが京都に近づくとともに、母の中で「喪の過程」が進んだらしく、「今度はあれよりいい指輪を買うてやる!」と言い出しました。人はこうして、喪失から立ち直ってゆくのやな、と思いました。

 

20:30過ぎに京都駅着。一同で、添乗員さんと「車長」さんに拍手を送り、解散となりました。しかし、最後までバスに残る母。一度立ち直ったとはいえやはり気になるらしく、「もう一回探させてください」と頼み、皆が降車した後の座席の下などを未練がましく探します。私も一緒に捜索。しかしやはり指輪は発見されず、添乗員さんが「もしも見つかったら連絡さしあげますので」と慰めてくれて、われらはバスを後にしました。

 

なんとなくこのまま帰るのも味気なくて、京都駅で蕎麦を食べながらツアーの感想を言い合いました。

 

私の感想:「それなりに楽しいが、やはり旅行は団体で行くより個人で好きに行くのがいい(集合時間も気にしなくていいし)」

母の感想:「指輪をなくしたのが悔しい」

ううう………。

 

その後、家に帰り、ふと鏡台の前に行った私は、何か光るものがあるのを見つけました。それは、旅行中に失くしたはずの、プラチナの指輪でありました。家にいた妹は言いました。「それ、朝からずっとそこにあるで」。(指環物語・完)

 

……なんで今頃この話を思い出して書いたかというと、このたび十四年ぶりに母に日帰りバスツアーに誘われたからであります。今度はどんな買え買えスポットに連れていかれるのか、どんな観光地を(慌ただしく)巡るのか、どんな人々と一緒になるのか、失われた指環は出てくるのか、今から愉しみです。