いじめのエビデンス

昨今学校を舞台にした苛烈ないじめが話題になると、「もはや『いじめ』でなく犯罪と呼ぶべき、警察が動くべき」という意見が出るようになりまして、実にそのとーりと思うのですが、その一方で、いじめと呼べないようないじめというか、告発するんが難しいタイプのいじめについても思い出されます。

 

中学んとき、「誉める」といういじめがありました。便宜的に「いじめ」と呼びましたが、やっているほうは、もしかしたらされているほうも、「いじめ」の意識はなかったと思われます。

体育の後、更衣室で着替えているときだったか、私の隣でKさんが着替えていました。Kさんは独特のテンポの持ち主であるゆえに学校で浮いている人でした。いますよね、いわゆる「いじめ」の対象にならないまでも、なんとなしに常に揶揄うような接し方をされてしまう人(私もどちらかというとその層でした、ってか今でもそうかもしれん)。Kさんの更に隣のロッカーには、まあまあイケてるタイプの女子二人組がいました。そのうちのひとりが突然Kさんを不自然に誉めちぎり始めたのでした。

「Kさんってほんまカワイイよな! めっちゃカワイイ! アイドルになれる!」

「実は頭もええんちゃうん! もっと自信もったらええやん! 生徒会長とか向いてると思うよ、立候補せーへんの? したらええのに。したら私、応援するよ!」

ひとしきり誉めちぎった後、もうひとりの子が低い声で「ほんまにそう思ってる?」と言うと、誉めていた子は含み笑いでその子と目を合わせ、二人はニヤニヤしながら去っていったのでした。

 

この一部始終を横で見ていたときの、「うわあ~」という気持ちは未だによう覚えています。明らかに心にも無い誉めちぎりであります。もちろん、独特なKさんの良さを好ましく思っていた人はいたかもしれませんが、この人たち(イケてるほう)の日頃のKさんへの接し方を見るに、心から彼女をアイドルになれるとか生徒会長に向いてるとか思っていないことは明白でありました。相手を辱めるために相手を誉めたことは明らかです。私は人から褒められると、「(あとで笑われてるんやないやろか)」とか思ってしまう人間ですが、これはこのときの記憶のせいでもあります(まあ実際にあとで笑われてる可能性もありますが)。中学生といえばこの世に生まれてまだ十数年。人って生まれて十数年でこんなに陰湿になれるもんなんやなあと感心します。

 

誉められている間、Kさんは「そう?」とか「いやあ」とか答えていたと思いますが、内心はどのように思っていたか分かりません。真に受けて喜んでいたか、真意を分かって苦々しく思っていたか。真に受けて嬉しがったなら、後で「あいつお世辞なのに気づかず喜んでたで」と陰で笑われることになる。揶揄われていると解りながらそれを聴き続けていたなら、苦痛であるし恥ずかしい気持ちになるかもしれないし、「あいつお世辞やって分かって困ってたで」といずれにしても笑われることになる。かといって、「心にも無いことを言うな、バカにするな!」とキレることもできない。「バカにしてなんかないよ、本当にそう思ってるんだよ?」と言われれば反論の術はないですし、第一いじめられっこがキレるのは人々にとって、ますます面白いからです。

 

大人になってからはときどき、自分が教師だったとしてああいう場面に居合わせたらどうしたらええやろう、とも考えるようになりました。これは難しい。それがいじめである、彼女らが心にも無いことを言ってKさんを揶揄っている、ということを証明する手段は形式上は無い。「だってあなたたちはKさんのことを本当はそんなふうに思っていないでしょう?」などと言えば、「それは先生がそうなんじゃないですか? えっ、先生は、Kさんが可愛くなくて頭が悪いと思ってるんですか?」とか言われることは目に見えておる。また、もしかしたら本当に、教師である自分には見えていないだけで、彼女らの間に善意が存在する可能性が1ミリくらいはあるかもしれない。明確に目に見える暴力や不平等ももちろん難しいものではありますが、こういう微妙な悪意、それが悪意であるということを証立てるのも確信するのも難しいような悪意ってのは、ほんま、どうすりゃいいんでしょう。「いきなりしばきのめす」くらいしか思いつきません。

 

 

先日インターネットで、或る差別的な待遇を訴えている人に対して「エビデンスはあるんですか」というような絡み方をしている人を見かけて、このことを思い出しました。

悪意があること、不公正があることは証明できない、しかし、証明できないが「何かある」というとき、そういうものにどう対峙すればいいのか、それをどう伝えたらいいのか、悪意や不公正を受ける側に何ができるんか、みたいなことをネチネチ考えるのが「知性」みたいなやつやと思うんですが(私はこれに欠けているためすぐ「いきなりしばきのめす」とか言い出すわけですが)、昨今どうも、「証明できないものは無いものとみなしていいですよね」「証明できないものは全部個人の主観ですね、だからそれ以上考えるのは意味ないです」みたいなしらじらしいこと言うのんが賢いとされてるっぽいな、と感じています。カマトト賢人ですね。