さて会津若松に着くともう17時頃でしたが、5月の17時台はまだ明るく、いざ街歩きへ。
観光案内によると、七日町通りに観光客向けの雑貨屋さんや飲食店が並んでいるようで、母がお店を覗きたいと言うので、夕食を探しがてら街を散策することとしました
白虎通りから中央通りをてくてく。街灯がおしゃれでした。ところどころに歴史ありそうな建物がありました。
郵便局の郵便マークが黒かった! 京都の「藍色っぽいローソン」とかと同じですねえ。飯盛山近辺では、黒いセブンイレブンも見かけました。こういう「観光地仕様」は好きです。
「白虎ラーメン」。もちろん白虎隊由来なんでしょうが、悲劇の歴史も150年経てばラーメンに……。ネットでの口コミによると美味しく親切なお店のようです。
そして神明通りに出たところで西へ折れ、七日町通りをぶらぶら……したのですが、お店がぜんぜん開いてないっ! ガイドブックやネット情報では20時や21時閉店となっているお店も、まだ17時台なのに閉まっていました。どうやらお客さんが少ないときは早じまいになるようで、平日は観光客もあまりいないようです。普段大阪市内や京都市内を活動場所にしていると、「ネットの情報の通りに店が開いている」のを当たり前のように思ってしもてあきまへんな……。
閉まってたけどすごく良い感じの食堂。ショーウィンドウに、古そうな木彫りの置き物に並んで鬼滅のフィギュアが置かれていました。
謎の2階のあるビル(1階と3階もそれなりに謎)。
新撰組記念館ももう閉めていましたが、新撰組ポストがありました。お手紙出したら幕末に届くんやろか。
喫煙所シリーズを採取。新撰組記念館の喫煙所です。「誠」の横では気を抜いて一服できなさそう。
自販機。新撰組局中法度とか書いてあって怖いっす。やたらBOSSとエナドリが充実。やっぱ100%ジュースとかは軟弱なんでしょうか。
お店がことごとく閉まっている中で、24時間営業・無人販売の古本屋さんが開いていたので入ってみました。(どこに行っても古本屋に入ってしまう。)
本に値段のシールがついており、値段分のガシャポンを回すことで購入できる、という形です。なるほどー。ガシャポンからはちゃんとカプセルが出てきて、本を入れるための袋とメッセージが入っていました。
私は「べつに旅先で買わなくてもいい本を買う癖」をぐっと抑え、せっかくなので、この土地のゆかりの本を二冊買いました。母は京都のガイドブックを見てました。何しに来たんや。
買った本はこちら。板橋英三『会津村叢書(二)会津慈母大観音野仏』、矢澤重徳歌集『会津、わが一兵卒たりし日よ』。
前者は昭和63年の本。板橋英三さんは、会津の木版画家。会津近辺のさまざまな野仏が描かれており、同時に、おそらくは少し昔の村の様子が彫られています。会津慈母大観音の版画は巻頭に収められていますが、会津村という庭園に、1987年に建てられた観音像だそうです。調べてみると「祈りの里 会津村」は、法國寺というところが運営する広い敷地の庭園で、今はコスプレ撮影会とかにも使われているようです。会津村叢書ということは、こちらでシリーズとして出版されていたものなんでしょうね。
後者は、表紙と帯の文言に惹かれて買い、少しずつ読んでおります。
古書店を出ると、西のほうが染まっていました。
お店開いてへんなア……と言いながら七日町駅まで歩きました。七日町駅は小さな可愛らしい駅で、この時間はもうひっそりしていました。駅の向かいに「阿弥陀寺」があります。東軍墓地のあるお寺です。新撰組・斎藤一の墓所もあり、ファンが聖地巡りに来そうですが、商売っけのない静かな雰囲気でした。かつては大仏もあったそうです(太平洋戦争時に供出)。
ちょっとイケメンの斎藤一。「画像はイメージです」が面白い。
大仏跡台座の脇に、きれいなお花が咲いていました。奥に猫ちゃんが写り込んでいることに今気づきました。
戊辰戦争後、会津の戦死者たちは「賊軍」として、埋葬を禁じられ、その遺体は野晒しにされたといいます。私たちは現在、「日本」が一枚岩であるかのようにシレッと「日本人」という言葉を使いそれにアイデンティファイしようとしますが、つい150年程前まで、「日本」の中でそのような勝った敗けたをやっていたのでありそれで成り立った体制のうえに今も住んでいるのであるな、と思います。そうした中でようやく埋葬を許されたのが、当時刑場の近くにあり荒れ果てていたこのお寺だったそうです。(七日町通りのサイトで詳しく解説されていました: https://www.nanukamachi.com/shop/amidaji.html
)
なんかふしぎな形のお堂……と思ったらば、鶴ヶ城の遺構で「御三階」と呼ばれる建物だそうです。
戊辰戦争で阿弥陀寺が焼失したのち、本堂として使用されていました。内部は4階建になっていて、上階は密議所として使われていたそうです。中は見えずでした。
斉藤一(藤田五郎)の墓です。自らの希望で阿弥陀寺に葬られたそうです。
お墓の隣には八重のゆるキャラがいました。斎藤の妻・時尾と八重は幼馴染だったんですね。それにしてもどこに行ってもゆるキャラがいます。
他に人のいない、日の落ち始めた境内。七日町通りも人通りはなく静か。そんな中、道路をはさんでお寺の向かい側にあるパチンコ屋の音楽だけが、境内に響き渡っていました。宵闇の中、お墓もお地蔵さまも御三階も、パチンコ屋の音に耳を傾けているかのようでした。元新撰組隊士も、毎夜この陽気な音を聴きながら眠っているのだなあ。
この後、結局開いている飲食店には出会えず、会津若松駅へ戻り駅前のモンテローザ系チェーンに入りました……。夜の会津若松駅は静かでしたが、地下道で弾き語りをしている若者がいました。
最も回避したい事態である「チェーン飲み屋in旅先」ではありますが、母親とモンテローザに入るのは初めてであったのでそれはそれでよかったと思うこととしましょう。母は、餃子を注文し、「これが会津餃子ってやつか~」としみじみしながら食べていましたが、メニューを確認すると「博多鉄鍋餃子」と書かれていました。
これは美味かったサーモン丼(特に地域色無し)。
飲食店を求めて徘徊しているときに出会った、超いい感じの看板。犬はどこから来たのか。