テーマを決めてチェンソの話をする(2)ノーベルクソキス賞

ノーベル賞受賞者は日本人か?  村上春樹は今年こそ文学賞を受賞するのか? ノーベル賞を受賞できるような基礎研究は日本で続けられるのか?……そんな話題が巡る季節でありますが、そんな話題を吹き飛ばすようなインパクトあるフレーズです、「ノーベルクソキス賞」。

ノーベルクソキス賞なる語は、作中に出てくるわけでなく、これは、単行本3巻初版の帯の惹句。単行本の惹句や本誌でのアオリのフレーズなど、編集者の仕事もまたこの作品の魅力なのであるなア、と最近分かったのでありますが、それにしてもこの漫画のひどさを端的に表すひどフレーズです。ノーベルとは? ノーベルもさぞ悲しむことでしょう。

 

 

本のページをめくって思わず声が出てしまう……ということはたまにありますが、「うわあっ」とでかい声が出てしまったのはこの漫画だと、コベニカーに並んで何といってもこのクソキスシーンであります。まるで「一番デケェ声を出させたやつが勝ち!」の、いわば心の一人金玉蹴り大会が、作者によって(読者に対し)延々続けられているかのようですが、クソキスはまったく不意打ちでしたね。また、絵が上手いんだ(例のページ、ちょっと丸尾末広感も感じませんか?)。

われらがつらみ師も、このシーンの衝撃で「読むのをやめようかと思った」と語っていましたし、過去の感想をぐぐると、それまで平気で血と臓物がドバドバ出る話を読んできたであろう読者たちが、クソキス賞にはガチギレしていて笑いました。まあおそらく、「皮膚を裂いてチェンソーが生えてくる」とか「臓物を引きずり出される」とかは多くの人が経験したことがないと思いますし想像力が及びにくいわけですが(というか前者は確実に経験した人は皆無と思いますが)、クソキスはある程度想像できてしまうだけに………ウウウ。「クソキス」が一体何なのかは、説明したくないので各自お読みいただければと思います。

 

 

そしてこの漫画の凄いのは、ここから姫野先輩(クソキスの当事者の一方)を掘り下げていくことになるその手並みなのですよね。

クソキスの悪夢を経て、ちょっと危険な一夜。いわゆる少年漫画的な「ラッキースケベ」なのかもだけど、オトナな生々しさがあります。『チェンソーマン』は、非現実的な設定と非現実的なキャラクタたちの物語であるにも関わらず、読んでいるうちに「こんな人いそう!」と思えてくるのがその魅力でありますが、わけても姫野先輩の「ホントにこんなお姉さんいそう!」感は生々しくて、主人公を誘うときや脱がせるときの台詞、あ~こういうお姉さんはホントにこんなふうに言うだろうな~! と映像を観ているように感じます(明暗の効果も映画みたい!)。そして、何もしない一夜が明けての朝の描写も最高(何もしない一夜ってなんだか贅沢ですよね!)。アキのどこが好きなのか訊かれて「顔」とだけ答えるのも最高。

 

しかし物語は、未だラッキースケベ的余韻を引きずっている読者にいきなり大打撃を与え、姫野先輩はわずか数話のうちに、「他人の口にゲロを流し込む」(あ、説明してしまった)という最悪と、「好きな男の子のために命を散らす」という崇高の両方を読者に見せつけ怒涛のように去っていきます。まさかのクソキスからの流れで、朝、酒癖の悪いビッチなお姉さんに相応しく「顔」とだけ答えた姫野先輩の、秘めた情熱を私たちは知らされるのです。