テーマを決めてチェンソの話をする(1)金玉蹴り大会

こないだこのブログでも紹介したんですが、最近『チェンソーマン』にハマりすぎて日常でもSNSでもチェンソーマンの話しかしない人になってしまい、この年齢になって初めてジャンプを定期購読し始めるなど、だいぶアレなので、ブログで毎回テーマを決めて心ゆくまで語ることとしました。

一応、単行本(現在8巻、もうすぐ9巻)未収録分の露骨なネタバレは無しでいきますが(まあネタバレしたところで「汚い輪っか」とか「ヴァンヴァアヴァア」とかなので何のことか分からんのですが)、本作自体を今後読む予定の人は、前知識なしで読むほうが愉しいと思うので、ご注意くださいませ。

 

 

 

 

そんなわけで今回のテーマは「金玉蹴り大会」です。

最近毎日ツイッターで「金玉蹴り大会」を検索するのが日課のようになっていますが、これは私だけでなく、おそらく全読者が好きな場面だと思います。

ごく簡単に説明すると、多くの犠牲を出した敵とのバトル(忘れがちですがチェンソーマンはバトル漫画です)の後、「金玉を蹴る最強の大会」が開かれるのですが、これが、バカバカしさと、バイオレンスと、清々しさと、切なさと……etc が詰まったマジ最強の大会なんですよね。(何を言っているのかよく分かりませんが読むと分かると思います。)

 

その場面へ至るまでの演出も最高です。最近の少年誌は、喫煙シーンはNGなのかな?と思っていましたが、この作品では煙草が小道具として実に上手く使われています。その、予想外の演出のカッコよさ、そして、花畑の美しさ、そこから急加速の痛快バトルを経て……の金玉蹴り大会! 大会に誘う側、誘われる側の台詞回しも最高ですし、突然のイキイキとした青春スポーツ漫画のようなタッチも最高(ただし目がイッている)。まさに、勝利&友情の場面。無音のコマを経て鳴り響く鎮魂歌も残酷で美しい映画のよう!

金玉蹴り大会に勝った場合の賞品が、べつに誰も欲しくもないシロモノであるところもまたいいのです。それはまるで、失われた命はどんなものとだって引き換えにできないのだという哀しさを象徴しているかのようで――。でもその哀しさはカラリと乾いた哀しさであって――。

更にそこで蹴られるのが生殖器官であるということに、何か象徴解釈的な意味づけやこじつけをしてもよさそうですが、『チェンソーマン』はあんまりそうした読みをする気にならない作品で、そこがクールで好きです。それよりも、作者が好きな漫画や映画をコラージュ的に貼り合わせているらしい点が、面白いなあと思います。私は元ネタ知らなかったんですが、金玉蹴り大会ラストのコマは『ハンターハンター』のパロディだと教えてもらい、最悪過ぎてめちゃ笑いました。

 

 

そんな金玉蹴り大会なんですが、初読時、ただバカバカしくて暴力的で、少し切なくも最低で、失笑しながら読んだこのシーンは、話を追うごとに、ノスタルジーの対象として抒情的に思い出されることになります(読者にとって)。「金玉蹴り大会はチェンソーマン読者の美しい思い出」(c: さーもんさん)と聞いたときは何じゃソリャと思ったのでしたが、まさにその通り(実際、「金玉蹴り大会」でツイッターを検索すると7~8月頃に「金玉蹴り大会に戻りたい」というツイートが群を成して検出されます……何を調べているのだ)。一エピソードの位置づけが物語の中で時とともに変化していく、それ自体も美しくて、あーそれってまさに、われわれの、「青春」ってそんなじゃない? と思うのです。