日が暮れてもまめ子と歩いてた


先日、出先にて可愛い犬に会い、飼い主さんとしばらくお喋りしました。女性にばかり懐く犬だそうで、私のところにててててと寄ってきてはまた他の女性のところへ駆け寄るという忙しいお犬でしたが、ちょこっと撫でさせてくれました。
犬を触るのは久しぶりで、毛の感触に、ポワワワとなりました。

そんなふうに、たまにすれ違った散歩中の犬を触らせてもらえることがあります。
最近は、犬に触らせてもらうコツを覚えてきました。
(飼い主でなく犬の方をじっと見つめると、犬の方から 「ん? 犬好きなん?」 と寄ってきてくれることが多い。)

そして、そうして犬を触るたびに、「あー、まめ子もこうだったなあ」 と懐かしく思うと同時に、「しかしまめ子はどの犬とも違うな、まめ子はワン&オンリーや!」 という気持ちが深まります。
犬全般を好きになるきっかけとなってくれたのはまめ子でしたが、同時に、犬全般の中で、まめ子に及ぶ犬に出会えることはないのでしょう(おそらく)。






んで、昨日は、まめ子が迷い込んできた日から14年目の記念日でした。干支も一回り以上してしまい、そんな前のことなのかとふしぎな気持ちです。早いもんだな。

微妙に生活の場が変わったこともあってか、最近、長い夢を見ているような軽い離人的な感覚を覚えることがあります。まあ、といって別にふつうに元気に生きとるんですが、そんなときはなんちうか、ああ、まめ子以降の世界は夢の世なのだなあ、という気持ちになりますな。

加えて地元はどんどん変わっており、昨今の京都はどこもそやと思いますが、訪れるたびに新たな建物が建っています。私とまめ子が遊んだあたりも少しずつ変わっていくのかもしれません。
だがそれでも京の街はまめ子という犬が生きた遺跡であります。
まめ子がしばしば溶けていた(※上図参照)石段には、何百年の記憶とともに犬の腹のぬくもりが沁み込んでいることでしょうし、千年後のひとびとも、そのあたりを永久に散歩し続ける我らの幻影を見ることでしょう。なんちて。