最近読んだ漫画(1) まだ暑い人生の初秋に『たそがれたかこ』

昨今、自分が読む漫画のテーマが、老い、病、夫婦の倦怠、中高年の悩み……とそんな感じのものが増えてきまして、感情移入する登場人物の年齢も上がってきて、自分も年をとったんやなあと思ったりしますが、しかしそれらに描かれるのは年をとっても相変わらず悩んだりぐるぐるしたりする大人の姿であって、いくつんなっても大人になりきれんのは私だけやないのねえ、と心強かったりもします。
そんな中、最近読んで良かった作品は、入江喜和 『たそがれたかこ』(講談社、全10巻) です。


ウェブ上の無料試し読みでサワリを読み、当初は、自分とそう年の変わらん主人公・たかこ(45歳)がずいぶんなおばあさんのように描かれていることに 「エエ〜」 と思ったのでありましたが、読み進むうちに引き込まれ、これはこの先も読み返す作品やわ……!と思ったので、紙媒体で全巻買いました。






バツイチのたかこは、老いた母と二人暮らし。年齢的には立派な中年ですが、年相応のコミュ力はいまいち身についておらず、職場の友人もなし。過干渉な母にイライラしたり口答えしたりする様子は思春期の中学生のようです。私めも外見だけは年をとるのに、いっこうに「おばちゃん力」のような強さが身に着かぬので、実に共感できるキャラクタです (特技が千切りというところだけは似てない)。
たかこはとかく気が弱くて自信がありません。そして、何か楽しいことをしようとするたびに、いちいち悪いことが起きるのでないかとビビったり、ちょっと水を差される出来事が起こるとパニックになったり落ち込んだり、小心者ぶりを発揮します。
たとえば、来たかった場所に初めて来れた幸せな時間のはずなのに、小さな地震に見舞われただけで、「自分が来るとロクなことが起きない」という気持ちになってしまう場面。これ、非小心者には分からんかもですが、あるあるや……!!よくぞ描いてくれた……!と思いました。 これって、これまでの人生でさんざん失敗してきたゆえの、楽しむことへの罪悪感によるとともに、自意識過剰の裏返しなのですよね。いや、分かってるんやけどさ。

そう、たかこは小心者であると同時に自意識過剰。人とのかかわりの中でも、ちょっとしたことで 「嫌われてる?」「キモイと思われてる?」 とビクビクします。そのたびにまたも、うをを、私も私も!と頷きながら読みました。いくつになっても自意識過剰を克服できない! 「人の輪に入っていけない10代の延長戦なんだな」 (3巻)という名セリフがありますが、なんて上手いこと言うんや。
作中、話しかけた中学生に無視されて立ち直れないほど落ち込みまくる場面、うう〜これもあるあるだ……! おばちゃんがそんなことをこの世の終わりのように気に病んでしまうなんて、当の中学生は想像もしないよね。そう、たかこも言うように、子どもの頃高く見上げたおっちゃんやおばちゃんは、子どもの言動なんぞにいちいち左右されないふてぶてしい生き物に見えましたが、実際には、大人だってしょうもないことに傷つくのだよなあ。 ♪大人だって泣くぜ、大人だって恐いぜ、と歌うフラカンの歌を思い出したりしました。


そういえば、作中でフラカンが流れる場面があるんですよ (たしかに、作品世界にぴったりだなあ)。 どうやら作者もロック好きらしいですが、この漫画も、音楽がテーマのひとつになっています。


小心で気弱だったたかこが、或る若いミュージシャンにハマったことをきっかけに、少しずつ変わっていく様子が、物語の軸です。
一般に、われら中年女性(おばさん)はイタく滑稽でかっこよくないものとされており、ロックなるものからほど遠いものとされています。たかこのような(私のような)イケてないおばさんなら尚更でありましょう。だが、そんなカッコ悪いわれらが、永遠のロック少女であるには、という物語として読みました。


たかこは好きになった音楽を通して、CDを買いライブを観るために行ったことのない場所へ行ったり、少しだけ外見を変えてみたり、勢いでギターを買ったりと、ちょっとずつ変わってゆきます。好きなものができてそんなふうになるのは、少年少女も大人も変わらないけれど、大人になってそんな衝動に襲われることのできる尊さよ。もちろん、変わろうとしても、しょぼくて自信のない自分は依然残っているわけですが、しかし、そんなふうに、変わっていいんだと気づくとき、何か変えてみたくなるときの、衝動こそが尊いのですよね。
以前に甲本ヒロトが 「紙を面白い形にちぎってみるとかそんなチッポケなことでいいから、何か始めるっていう瞬間が大事なんだ」 的なことを言っていましたが(※出典不明なのでうろ覚えです)、まさにそんな瞬間の胸の高鳴りを、たかこはともに体験させてくれます。
40代にして初めてライブハウスへ行く場面では、入口を抜けて熱気に気圧されつつフロアへ降りてゆくドキドキを、初々しいたかこと一緒に体験するかのようでした。モデルである、鶯谷東京キネマ倶楽部の様子も細部までていねいに描かれていて、ここは作者にとっても好きな場所なのだろうなあ、と想像しました (私も一度ましまろのライブを観にいった、思い出ある場所です)。


ちなみにたかこが好きになるミュージシャンは、クリープハイプ尾崎世界観がモデルだそう。クリープハイプ、5年ほど前に対バンで観たときはあんまりピンと来なかったのですが、去年OTODAMAで観た際、若いお客さんたちの盛り上がり方も含めてとても良かったので、これを機会にアルバム買うてみました。「HE IS MINE」が好きであります。

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また、この作品の魅力は、火野正平の良いところを煮詰めたような「美馬さん」を初め、たかこを取り巻く名脇役たちであります。
中年女性の物語と書いたけど、若い女性の描き方も上手い。たかこの娘・一花の、ちょいゴスめなファッションや、大人びていて周囲になじめない感じはとてもリアル。私が好きなのは、劇団女優です。当初、美しきナジャ女(※ぐぐってください)として描かれ、内面の窺い知れなかった彼女ですが、終盤で大事な役割を果たします。女の子同士の交流も微笑ましい。「中年にだって内面はあるぜ」 だけでなくて、若い娘にも、美女にも、内面はあるのだよ、というお話になっています。
後半は、一花の娘の思春期と、たかこの終わらない思春期が、二重奏のようになりお話が進んでゆきます。


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ところで、たかこの小心さや気弱さは、その心優しさや繊細さと裏表にもなっています。それゆえに、世間に馴染みにくかったり無神経な母に苛立ったりするわけですが、一方で、悩める娘に寄り添うときなどには、それは美点として働きます。ゆえに読者は、たかこの小心さにときにはやきもきさせられつつも、どこか安心して自己投影して読めるわけなのですが、物語の終盤になって、初めてたかこが、「加害者」になるような行動を起こします。

この展開は、多くの読者に戸惑いと衝撃を与えたらしく(私も「うおおお、そらあかんやろ……!」と口走ってしまいました)、ネットのレビューの多くも「ラストがなければよい作品だったのに」「途中まで共感して読んでいたのに」というものでしたが、しかしこの異物のようなシーンが、この作品を、ひと口では語れない怪作にしているのでありましょう。
それまで気弱な万年少女の気分で読んでいたはずが、加害性もひっくるめた意味での「大人」であることを突きつけられ、ギターは弾かれぬまま、胸の高鳴りは宙ぶらりんのまま。
ネットで読んだインタビューによると、作者は山岸凉子の大ファンだったそうですが、たしかにこの手触りは、あの名作にして怪作 『日出処の天子』 のラストのあの衝撃に似ていました。