さよなら大津パルコ、スーラヴァと「いいことありそう」とダメなデート、そして我が90年代

先日、大津PARCOが閉店したとの報を聞き、一時代が終わった感をひっそりと感じまして、今日は大津PARCOの思い出をひっそり書き残したいと思います。


大津PARCOには一時期よく行っていたのですが、ここ数年足が遠のいており、最近久しぶりに行ったら、スッカリ様変わりしてファストファッションと量販店ばかりになっており、いや、私はファストファッションや量販店も好きなのでありますがしかしかつて大津PARCOに求めていたものはそうではなかったので、しかし時代が求めるものとして仕方のない変化であったであろうので、「おおう、テン年代の我が国よ……」という気分になって帰ってきたのでした。
私の記憶にあるのは、90年代末の大津PARCO。当時のPARCOは、高校生くらいであった自分には大変にキラキラして見えたものです。

当時の自分には少し高くて手が出なかったけれど、スーパーラヴァーズやヒステリックグラマーといった原宿系ブランドのお洋服の過激でちょいロリータなデザインにドキドキしたり、当時全盛であった渋谷系ギャル服を似合いもしないのに試着してみたり、そうした「ちょっと背伸びしたオシャレ」に触れるところであったのでした。
エントランスは開放的で、ガラス張りでキラキラ光る円形のアネックスビルがあり、紅茶のお店が入っていました。やはり当時の私にはお高くて入れなかったのですが、彼氏ができたらこんなお店で紅茶を飲めたらなア、と夢想していました。(実現しないままその後スタバに変貌。)

PARCOのあった膳所は、京都からは少しアクセスしづらく、別に都会ではないのですが、膳所駅からPARCOまでの道、その名も「ときめき坂」は、ほどよく都会っぽさと田舎っぽさがミックスされ、古い街並みの中にちょっと竹下通りめいたクレープ屋さんや古着屋さんもあったりして、そこを通るのも楽しみでした。琵琶湖に面した広々とした住宅街の中にファッションビルが建っているのは、土地の狭い京都の市街地には無い造りで、PARCOを覗いた後にぷらりぷらりと琵琶湖畔をお散歩するのも気持ちのいいものでした。
時間のあるときは、膳所のPARCOから浜大津のOPAまで歩きましたっけ。(こちらは遥か以前に消滅しているのだが、私はここで初ヴィレッジヴァンガード体験をし、丸尾末広との出遭いを遂げたのでした。当時のヴィレヴァンは今より「やばい感」があり、「なんだこの変な店!変な漫画がいっぱいある!」と興奮したものでした。)



PARCOには、当時京都には無かったタワーレコードが入っていて、今だとタワレコなんてあちこちにあるんですが、なんと現代的でカッコいいレコード屋があるのかとときめいたものです。
初めてフラワーカンパニーズを聴いたのは、このPARCOタワレコのキャンペーンでした。
PARCOのエントランスには円形広場があり、そこでシングル「ヒコーキ雲」を出したばかりのフラカンが(後で聴くところによるとこの頃メンバー仲は低迷していたという)、「琵琶湖からの潮風が気持ちいいね!」と言いながら、トーク&アコースティックライブをやったのでした(注:琵琶湖は海水ではない)。
三曲だけのライブだったのですが、その最後に演奏された「いいことありそう」の一曲で、私は「これは殿堂入りや!!好きーーーー!」となってしまい、その後現在に至るまで彼らのライブを観続けることになるのでした。「男らしく笑顔で殺した♪」と歌うグレートマエカワの声が、秋晴れの琵琶湖沿いの住宅街に響く様子は今でも忘れられません。


↓その際のチラシ。「人気急上昇 ブレイク間違いなし」が今見ると切ないのと、オートレーサーになるため脱退した森君を含む「5人組」の表記。




また、PARCOの最上階には映画館があり、大学に入ったばかりの頃にはそこでデート的なことをしたこともあります。
その頃知り合った男子に「車買ってもらったからどこかへ行こう」と誘われたのですが(まだバブルの名残を感じる台詞)、「免許取ったばかりの人の運転で遠くへ行きたくない」&「あまり会話をしたくない」という理由で、京都近郊かつ喋らなくてよい、PARCOでの映画デートを提案したのでした。(今思えばそんなに気が進まないなら受諾しなけりゃいいのだが、当時は断る技術をもたなかった。)
自分が観たいというだけの理由で「アイズ・ワイド・シャット」を提案したものの、入口で18歳未満ではないかをしつこく疑われ(大学時代は中学生に間違われ続けていた)、過激な性描写に相手は明らかに気まずい様子を見せ始め(今観るとたいしたことないんだろうなあ)、そのうえ途中でおしっこに行きたくなってしまい、我慢できずトイレに行ったらその間に謎がすべて解けており、ニコール・キッドマンが一言「ファック」と言って映画は終了したのでありました。「どこ行ってたの」と問われ、「どうしてもおしっこが」とは言えず「ちょっと具合が悪くなって……」と濁したのは、まだわたくしも若く可愛かったのでございましょう。

その後、下の階のカプリチョーザで緊張の食事をし(注:当時カプリチョーザが最高にオシャレな店だと思っていたため)、さっさと帰ろうとしたところを、「せっかくだから琵琶湖畔をドライブしようよ」と言われ、気が進まぬながらよく晴れた初夏の琵琶湖沿いを連れられるままドライブしたものの、「車内で聴きたいから好きなCDもってきて」と言われ、本当に単純にその頃気に入ってよく聴いていたという理由で戸川純『極東慰安唱歌』をもってきてしまっていたため、実に微妙な雰囲気でのドライブになったのでありました。
(万が一その本人が読んだらば気を悪くするかも、と思って書くのを躊躇した思い出ですが、さすがに20年も経てば、ドライブデートの車内で 「泣きながら豚のよに働く毎日♪」 などという歌を響かせる変な女のことは何とも思っていないでありましょう。)