年末に神戸で友部正人を観たよの巻


年が明けてからだらだら昨年の話をし始める当ブログですが、年末に、「ああ素晴らしき音楽祭」@神戸チキンジョージ というイヴェントに行きました。
長年、観てみたいなアと思いつつ機会を逃していた、友部正人のライブを観ることができてよかったです。
チキンジョージも、中学生の頃から名前は知っているが行ったことのないライブハウスだったので、感慨深かったです。(よくラジオで、「神戸チキンジョージでのライブの様子です」とかやっていたので、大人の行くところというイメージだった。当時からは、建て替えられてしまったようですが。)



阪急三宮駅前にそびえる腹(究めれば産地よ)




イヴェントはこんなメンツ。
ギターパンダは、これも何度か友人に誘われながら機会を逃していたし、ましまろは去年何度か観ていずれも良かったし、私のためのようなスリーマンでした (とみんな思っていたと思われますが)。




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ギターパンダは、パンダの着ぐるみの中にマイクつっこんで歌う姿がキュートでした。
着ぐるみさんは盛り上げ上手で、噺家のようなトーク、安定のギターテクニックと声量でベテランの風情。着ぐるみだけれども音は、ストレートなロケンロール。パンダの中身は山川のりを
が、簡単にはパンダからのりをに変身せず、着ぐるみを脱げばその中に小さいパンダさん、それを脱げばさらに小さいパンダさん、その下にも!さらに小さいパンダさんが潜んでいたのでした。(暑かろう)

もっとコミックソングみたいのをやってるのかと思っていたのですが(着ぐるみだし)、予想以上に骨のある歌でした。
特に「引き潮」という優しい曲は、あれこれ悩んで考えて答えは出ないまま歌うんや!みたいな、ひとが音楽へ向かうときのプロトタイプのような歌やなあと思いました。
他に、昨今の「愛国」を皮肉るような歌詞があったり、ちょっとおおっと思ってしまい、おおっと思っている自分にびっくりするなど。(というのは、われわれの世代ってわりと、「政治的・社会的であることはダサい、怖い」「ひくわー」みたいなスタンスがあると思うんですが、私は常々、その態度こそがそもそも政治的やんか、そして政治的・社会的であることってべつにふつうにやれたらええやんか、と思うてたはずなんですが、ちょこっと「政治的」に見える歌詞が歌われただけでおおっと思うとかって、案外そのスタンスが内面化されてたんやなあ、ということに気付き、びっくりしたのでした。)


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ましまろは、9月に晴れた野外で聴いたのが気持ち良すぎたので、暗いライブハウスで聴くのが、一瞬変な感じがしたほどでした。
が、始まってしまえばこれも安定の心地よさでした。二本のギターの絡み方も、回を追うごとによく聴こえるようになって嬉しいです。
ブルースナンバー、「海と肉まん」がまたかっこよくなっていました。マーシーのヴォーカルが更に太くなったように感じましたが、それ以上に、パーカッションを叩く真城めぐみさんの動きにくぎ付けでありました。
まるで海の中で動いているような、スローモーションヴィデオのような動きが曲に雰囲気を与えており、これを含めて演奏なんやなーと感嘆。椅子ありライブだとこういうのがよく見えていいですね(私は立ち見だったけど)。

出演者内輪ネタとしては、真城さんの、「高校生の頃のりをと映画を観に行った」という突然の告白が面白かったです。(デートではないそうです。)

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で、ラストが、友部さんでした。

私の生まれるずっと以前から歌い続けている人ですから、小さなライブハウスで近くに観るのは奇妙な感覚でもあります。
小柄な体に帽子を載せた姿はリアル・スナフキンのようであり、写真でみる以上にきれいな目。ギター一本で歌い出した途端、レコードで聴いてきたのと少し違うような、含羞がありどこか可愛らしいようでありつつ、しかしソリッドに掠れたお声で、おおお、友部正人やんか!と不思議な感じでした。
そしてなんといっても、詞、ことばがぴしぴしと届くのでした。
これは、どの出演者よりも圧倒的でした。
ショーとしてウケを狙ったり奇をてらったりせず、淡々と歌の力だけで勝負しようとするスタイルで、おしゃべりも「ギョーカイノリ」みたいのがまったくなく、ミュージシャンというよりはこの人は詩人なのであるなあ、と思いました。いろいろ騒がしいであろうギョーカイの中で、あんなきれいな目のままいられるのであるなあ。

私は友部さんの最近の曲は全然知らないので、ほぼ知らない曲ばかりでした。まだ2回しか人前で演奏していないという出来立ての曲などもありました。


そしてアンコールでは、友部さん・のりをマーシーの三人で「地球が一番はげた場所」を演奏するというサプライズあり。私と同年代以下の人であれば、この曲を経由して友部正人を知った人も多いんではないでしょうか。
少し勿体ぶって「今日ここに来た人は得です、こういう形でこの曲をやるのは初めて……」と話し始めた時点で既に察した客たちが「わあああー!」となり、「あ、なんだ、みんなもう分かってるんですね……」としょんぼりしておられました。
ワンコーラスずつそれぞれがヴォーカルを取る形式で、最後は互いに笑い合いながらの和気あいあいとした演奏で微笑ましかったです。
マーシーのヴォーカルも、89年の『夏のぬけがら』に収録されているこの曲より深みがあったようで。でもそれは、聴く側の事情かもしれないなとも思いました。
この曲、子供の頃に聴いていたときは、それほど好きでもなかったのです。詞も、「君は顔から影になり」という比喩なんて、友部正人のわりに凡庸やな、とか思ってたのですが、今聴くと、ある他者がまさに顔から影になる瞬間を、なんとぴたりと言い表したフレーズであることか! あれから何度、「そうか、こういうことなのか!」と思ったことか。

これだけでも既にお腹いっぱいのところで、最後は出演者全員で友部訳詞による「アイ・シャル・ビー・リリースド」をセッション。素晴らしい年末の一日となりました。



帰り、友部さんはふつーに物販ブースに座っていて、「うわあっ」と思ったのですが、友部ファンの友人が遠慮しまくりながらも満面の笑みで一緒に写真を撮ってもらうなどし、それも含めて、よいライブでした。友人は、去年生活が変わったのですが、このライブを観るため神戸へ出てきたのでした。
駅前でラーメンを食べて帰りました。友人は今日のアンコールについて、「中学生のときから聴いてきた曲がこんなふうに聴けて感無量」「こんなところで、あんな映像を伴って演奏されて……まるで紅白歌合戦の最後のみんな出てくるやつみたい」 と、よく分からないが適切で絶妙な比喩を以て感動を語っていました。
久々に近況などを聴き、比較的新しい友人なのですが古い友人と話したような、ほっとするひとときでした。