クリスマス前の東京でフラカン武道館と春画展を観たよの巻


年があけてしまいすっかりタイミングを外した感がありますが、12月に東京で観たものの話をいまさら書きます……

東京には何度か行っていますが、今回初めて、新幹線から富士山が見えました!
「この麓にサティアンがあったのか……」という今更の感慨を覚えました。





東京、1日目は、ヤギカフェやらラブホ街見学やらの後、日本武道館フラワーカンパニーズのライヴを観にまいりました。
武道館も実は初めてです。わざわざ武道館に何ぞ観にくるとしたら、ポール・マッカートニーだとかローリング・ストーンズだとかそういう大物外タレ的なものを観にくるのであろうと思っておりましたが、初の武道館がフラカンやとは。
フラカンは、長年聴いているロックバンドなのでありますが、武道館公演は初めて。というか普段は小さなライブハウスを中心に回っており、滅多にホールでライブをすることがないバンドなのです。一時期はメジャーから退き、ほとんど客がいなかった時代も。なのにいきなり武道館。
こんな珍しいおもろいことは(失礼ながら)もうないかもしれない……ということで、われわれもついうっかり観に行くことにしてしまったのでした。


九段下の駅も降りるのは初めて。靖国神社って九段下なんですね。駅前にて「憲法改正」の署名を求める人を、ううう、と見ながらたまねぎの下へ。
たまねぎのふもとには物販のテントが広がっており、なんと長蛇の列ができていました。アイドルのコンサートのようではないか!
磔磔(キャパ300ちょい)ガラ空き時代を共に観ていた友人は、「物販が手売りじゃない!」とその時点で感慨。
えらい列だったのでわれわれは並ばなかったのですが、グッズには「トレカ」まであった模様。なんやそれ!調子乗りか!と思ったら、「トレカ売り切れましたー」の放送に再び衝撃。(※注記しておくと、フラワーカンパニーズは普通な感じの中年男性4人のバンドであり、トレカを集めて嬉しいようなバンドではないのであります)
が、客たちのどよめきが落胆の声でなく「トレカ売り切れだってwww」という失笑だったので、ああやっぱフラカンのライブなんやなぁ、と確認しました。
昼下がりの九段下は、青い空の下、光るイチョウの葉と顔を輝かせる人々で満ちていましたが、そこに 「死にぞこない、死にぞこない、イエー!」 というリハーサルの音が盛大に漏れ聞こえており、実にシュールでした。


開演まで時間があったので、友人3人と連れ立って、武道館のカフェ、その名も「カフェテラス武道」でお茶しました。
富山出身の友人は、やはり「富山で客が15人しかいない時代のフラカンを観た」とのことで、しきりに感慨深げにしていました。あと、富山をめっちゃdisっていました。
なお、カフェテラス武道は、「混むに決まってるのに異様に効率の悪い構造のトイレ」や、「紅茶/ミルクティー/レモンティーというメニュー分類」(うっかり「紅茶」を頼むとミルクもレモンもつけてもらえない)など、ほのかに珍スポット感漂うカフェでした。この場を借りて、トイレ効率の改善を訴えたいです。


↓ ちなみに友人が着ていたのは2004年の、結成15周年ツアーTシャツ


↓ ついでに私は東京来たから東京シャツ(フラカン関係なし)




開演時間が近づき、そわそわと会場へ向かうわれわれ。
フラカン日本武道館」と書かれた大きな幕の前で、やはり浮足立った様子のファンたちが記念撮影をしており、なぜか一様に緊張気味。客なのに。あちこちから 「10年前にライブハウスで観たときはガラガラで……」と思い出を語る声や、「メンバー緊張してないかな!」と今日の公演を心配する声が聞こえ、みんな見守りに来たお母ちゃんのようです。
かくいう私も、普段はパフォーマーと客の間に一線を設けておきたい派なのでありますが、「こんなにたくさんお客さんが……バンドは嬉しかろうなあ」と考えて開演前にほろりとしてしまうなど。フラカンはなんでだかそういう、客をお母ちゃんの気持ちにさせるバンドなんでしょうな。
(過去の私の思い入れ記述としては、これとかこれとか。)

ミュージシャン仲間や放送局からの花輪の中に、「鳴海高校同窓生一同」の花輪があるのも、フラカンらしいなーと思いました。








会場には、トレードマークのニワトリがたまねぎから飛び出している、「パッカーンニワトリ旗」が日の丸旗と並んでかかっており、なんなのだこの光景は……と非現実感を覚えます。ぎっしり詰まったお客さんの中には、普段のライブハウスでは見かけない小さいお子さん連れの姿もちらほらありました。われわれは、一階席中ほど、ギター側の席。


10分ほど押しての開演だったでしょうか、いつもと同じ、ピンク・フラミンゴのSEが武道館に響き、条件付けられた犬のごとく立ち上がるわれわれ。
2010年に、超ひさしぶりにライブに行った際も、このSEで、フラカンやー!と一気に1998年のバナナホールに引き戻されたのでありました。どこにいてもこの音で19歳時に引き戻してもらえるとは幸福なことでありますまいか。

一曲目はリハで漏れ聞こえていた「消えぞこない」、2曲目がいきなり96年の名曲「恋をしましょう」で歓喜。東京の真ん中で歌われる「永遠の田舎者」には、ああフラカン好きなのはこの感じだったよ!と思い出しました。かっこ悪いやつが、かっこ悪い田舎者のまま、俺はかっこ悪い!ということを絶叫することによってなぜかかっこよく見えてしまう、かっこ悪いやつのリヴェンジともいえるこの感じだよ!と。また、「君の夢は叶ってる?」と幼い頃の自分が問いかける「この胸の中だけ」では、大勢の客を目の前にしながら 「世界はいつもこの胸の中だけ、夢はいつもこの胸の中だけ、歌うのはいつもこの胸の中だけ」 なるフレーズに思わず涙が流れてしまった。大事なものや思い出や記憶を、鍵をかけて自分だけの脳内百景ワールドでぎゅっと愛でる感じ、前も書いたんですが、それも私が彼らの曲に共感するひとつの理由やから。
そして、フロントでくるくると歌うヴォーカル・鈴木圭介は、武道館で見ても特に華とかない小さめのおっちゃんなのに、華とかない小さめのおっちゃんのままこんな大舞台に来るという、ある意味、日本で最もロックンロールドリームみたいなものを体現してる人なのかもしれん……と思いました。
一方で、非常に照れ屋な人なのであるなあというのも分かりました。もうベテランおじさんバンドなのであるから、もっとどっしりかっこつけてもええのに、「湿布ずれた」とか「今日のために23000円のジャケット買った」とか、そういう台所事情を見せておらねば不安な人のようです(こういう人、周囲にもいる! というか自分もこのタイプかも知れぬ)。それも感動的な曲の後ほどくだらない喋りが入り、流れた涙が高速で乾いてゆく! そんな点も含めて楽しい。


が! 正直、前半の演奏はなんだかいまひとつだったのでした。いつもの迫力がなく、ぴしっと合っていないというか。高音が特徴のヴォーカルも涸れ気味でハラハラ。私は演奏の細かいことは分からんのですが、友人によるとけっこうなミスの連発で、「ああ、武道館コケたな」と思ったとの由。
この、ここぞという大舞台で場の空気に飲まれて空回りしてしまうのもまた、彼らに共感する理由のひとつなのです!(そんなところに共感されたくないだろうが) 私もまた、これまで仕事やら学会発表やら、ここぞというチャンスで浮足立ってコケ続けているので……。
が、そこは流石ショーのプロ、私ごときと違うのは、私はコケたらコケっぱなしで挽回のチャンスですらコケるのでありますが、彼らの凄いのは、コケたところから見事にしぶとく巻き返すところ。メジャー落ち→返り咲きというキャリアがまさにそうですが、この日も、名曲「夢の列車」以降の後半の演奏は、すっかりいつものフラカンで、ぴしっと安心して熱狂の連続、凄いなこの巻き返しがかっこええんやなー、と思ったのでした。
(MCでギター竹安氏が「最初からやり直したい」とか言うており、正直すぎてワロタ。)



「夢の列車」は、(これも前に書きました通り)最も好きな、というか最も衝撃を被った曲なのですが、今聴くと、こんな見事なブルースを、かつてはコミックバンドのように扱われていた若者4人が演奏していたんやなあ……!とますます感嘆いたします。その後ライブで演奏されるごとに、本来のこの曲にふさわしい重厚な演奏になっていて、聴くたびちょっと違っている長いギターソロは、緊張漲るショーでした。
「夢の楽園 夢の毎日 夢の安らぎ/夢の明日 夢の未来 夢のまた夢夢夢夢夢!」という詞を、われわれのしょぼい日常そのままのその詞を、後ろに座っていた4歳くらいの女の子はどう聴いたんでしょう、大人になって思い出す日が来るのでしょうか。


今回、われわれが勝手に心配していたことがあります。
今回の公演には、代表曲「深夜高速」の歌詞をもじった、「生きててよかったそんな夜はココだ!」という、思いついた人には悪いがちょっとどないやねん……と思われるサブタイトルがつけられていたことから、
「圭介が要らんサービス精神を発揮して『生きててよかったそんな夜は……ここだー!!』と歌ってしまうのではないか」
という心配を、武道館公演を知ってからわれわれは延々とし続けてきたのでした(そんな暇があるなら自分の心配でもしておけという話であるが)。
が、中盤でサラリと演奏された「深夜高速」は、いつも通りの淡々とした、そして素晴らしい「深夜高速」でありました。そう、「生きててよかった そんな夜はどこだ」と、そんな夜を探し続ける歌でした。
彼らにとってはでかい会場であろうがいつも通りのライブの一環なのやなー、と、勝手な杞憂であったことに安堵して拍手を送ったのでした。(MCで何度も「いつも通りやります!」と言うのは全然いつも通りではありませんでしたが。)



ラストの曲は、すごくばかばかしい曲で終わってほしくもあったし(例:昔よくあった「NE-NA終わり」パタン)、まあふつうにいい曲で終わるかなあとも予想していたのですが、アンコールが複数回あったので各種パターンがあってよかった! ここで、「そういえばこれ聴きたかった!」という曲を全部やってくれたのでした。
「夜明け」はこの日一番良かった。これまで聴いた「夜明け」の中でも最も美しい、力強い演奏でした。
発表された当時は、明るい曲であるのにどこかひりひりした印象を受けたのですが、演奏される中で説得力を得ていった曲なのかもしれませんね。
そして1回目のアンコールはまさかの「孤高の英雄」終わり。これをこのタイミングでやるんか!
サビの歌詞に「がんばれ圭介」と作詞者本人の名が入る、「どんだけ自分好きやねんwww」曲の系列(そんな系列があるとして)なのですが、当時はB級弱小バンドがそれをやってる点におかしみがあった……はずが、1万人近い武道館の客に「がんばれ圭介」を合唱させており、「どんだけ自分好きやねんwww」が大規模化してました。やりたかったんやなー……、と笑いが止まらぬままアンコール1終了。


2度目のアンコール、「NUDE CORE ROCK'N'ROLL」では、金テープが降ってくる演出に歓声。これ、あれやんか、アイドルのコンサートとかで降ってくるやつやんか! 武道館の天井から、スローモーションではらはらと舞い落ちる金テープは、光の雨のようで美しく、その光景にうっとりする一方で、 いや!そんなバンドとちゃうやん!嬉しがりか!と失笑も止まらず、一方で曲は「君とドブでダンスを」と歌う王道ロケンロール・ナンバーであり、グレートマエカワはかっこいい演奏をする人には絶対見えない全身ラメのクリスマスツリー衣裳(アンコール仕様)で、かっこいいベースをゴリゴリ弾いており、なんかおかしいやろ、王道やのにいびつなバンドであるのだなあ、と改めて思うたのでした。



その他聴けて嬉しかった曲を挙げるとキリがないのでこれくらいにしておきますが、「もう1回だけ」と始まった最後のアンコールは、「東京タワー」でした。
そうだった、これが聴きたかったよ。
年はとるぜ、汚れてくぜ、いつか死ぬぜ、神様はいないぜ、というどうしようもない当たり前のことが、歌として歌われるだけで、なぜそれはエンターテイメントになり、エキサイトメントになり、熱狂と幸福感を喚起するのだろう、というのは、フラカンに限らず音楽を最初に聴いたときに感じた原初的な不思議でありますが、そのことを、この曲を聴くと思い出すのでありました。
また、武道館のアンコール曲のサビで 「夢がなくて金がなくて未来が暗くても」 とはあんまりにあんまりであるが、しかしそれは衒いなどではなく、彼らはずっと其処なんであろうなあ、んで私もずっと其処なのだなあ、と思ったのでした。
次に 「これが本当に最後の曲」と始まった「さよならBABY」、よくラストに演奏され皆でシンガロング用の曲なんですが、私はこれ、泣いちゃって合唱どころではないのだ。この日、ここまでは、曲自体に感動してというよりは、「大きい会場であの時代の曲が…」「メンバーは嬉しいだろうなあ…」とかそういうシチュエーションにぐっときて涙してしまっていたのですが、この曲には、ここ数年の色々な別れのこと、そしてこの前月の愛犬との別れのことが一気に思い出され、涙が止まらなくなってしまったのでした。幸せはいつでも通りすがり、巻き戻しボタンは壊れたまま、本当にそうだね。唇を噛んだままドアを開けるよ、まめ子。


ライブが終わると会場には「虹の雨上がり」が流れておりまして、それは2012年の御堂会館と同じでした。終わってからも、皆ニコニコと手拍子していました。
思えばライブに来ると必ず一定以上の幸福感が保証されているとは、たいしたバンドであるな。けっして幸福を歌う曲ばかりでない(むしろその逆)であるのに。
駅への道では一様にふわふわした客たちで渋滞が起きており、「フラカン渋滞などというものがこの世にあるとは!」とまた変なテンションになるわれわれでありました。
長年このバンドを観てきた友人もいつになく興奮気味であったうえ、落ちてきた金テープを首に巻き、その金テープには「生きててよかったそんな夜はココだ!」と余計なことが印字されていたので、傍から見ればライブ帰りというより完全に変な宗教の人でした。







*****

さてそんなライブを観た翌日は、話題の「春画展」に行きました。
大きい美術館には軒並み断られたというこの展示、会場は目白の永青文庫。細川家ゆかりという凄い建物なのですが、建築を味わう余裕もない混雑ぶり!







着くとまず、建物の前に20分待ちの列。友人から事前に混雑するよと聞いていたのでよかったものの、聞いていなければびびって帰ってしまってたと思います(列に並ぶのが嫌い)。
展示はまず「プロローグ」から。いわば鑑賞の前戯的段階が設けられているという粋な構成なのですが、その粋を味わう間もなくすごい混雑。押し寄せてくる老人の団体。
モッシュの中になんとか粘って貼りついて展示室に入ると、いきなり一発目が稚児乃草紙でありました。おお、これが、あれかーーー! 稲垣足穂の記述によって存在は知っていたので、実物を見ることができ、この時点でかなり満足でした。もちろん一部しか見ることはできないのですが。
場面は、お稚児さんがてろんと白い尻を出し、姿の見えない男が後ろから……という場面でした。男の体は半分透けたような形で描いてあって、現代のエロ漫画の技法を思わせました(当時はこの描き方は変則的だったのでしょうか?)。
所蔵は大英博物館春画はほとんど海外に流出しているのですなあ。

肉筆画のフロアは、着物の模様や布団の模様などが細密に美しく描かれており感嘆しました。
また、春画は(現代の目から見れば)人物が無表情というイメージがありましたが、ちゃんと表情(特に女の)がせつなげに描かれているものもありました。連れは月岡雪鼎という人の作品を気に入っていましたが、この人のものなどは、艶めかしくかつ幸福そうな表情が、丁寧な筆致で描かれていました。
とはいえ、現代のエロの感覚とはやはり違うからこそこうした展覧会ができるわけで、描かれてる行為自体は普遍的なものなのに、エロの感覚は文化的・歴史的に変化しているというのは(あたりまえなのだが)ふしぎなもんです。


それにしても、モッシュ状態でぎうぎう密着しながら春画を鑑賞するというのはなんともシュールでした。
当時これを実用していた人々がこの様を知ればどう思うのであろうか……。
出口を出たときはもう疲労困憊でした。
そして色々すごい技巧を観たというのに、最終的に脳裏に焼き付いたのはタコとエイという、水族館か!状態。
タコはご存知北斎のタコで、現物はなく解説パネルのみだったのですが(現物は銀座の画廊で同時展示されていた模様)、やはり凄い。エイは、「春画 エイ」でぐぐると出てくると思いますが、エイがかわいそうです。エイもかわいそうだし、エイと交わる男の表情もなんともかわいそうです。台詞も強烈。


台詞といえば、作品中の変体仮名が半分ちょいしか判読できず悔しかったです。
図録を買ったので、これで判読練習をしようと思います。


図録には注意書きが。。



一日目はフラカンライブ、二日目は春画展と、いずれも「そんなに人がいるはずではないところに人が詰まってる」という非日常感を得た東京行きでした。
そして帰り、あんなにがんばって目白くんだりまではるばるいった春画展が、今冬京都で開催されると知ってさらにぐったり!!