脱走の思い出


ペットロスに陥った人はよく、
「私がこんなに悲しむとあの子が安心して天国に行けない」
と自分を責めてしまうそうですが、仮に死後の魂的なものがあってまめ子がわれわれの悲しみを知ったとしても、まめ子の性質からして別に 「ふーん」 という感じだと思うので、飼い主も勝手にしばらく悲しもうと思います。
まめ子はわれわれが何を言うても、天国だか地獄だか勝手に自分の行きたいところへ行く犬です。


まめ子はもともと野良育ちであるからか、自立心旺盛な犬でした。
具合が悪くなってからも、まったく甘えてくれず、一緒に寝ようと誘っても、「いや、ひとり(一匹)で寝ますし」 と言うてひとりで寝ていました。
家族がわいわいしているときも、ひとりでスッと自分の巣へ帰っていくのでした。


そんなまめ子ですので、我が家へ来た当初はしばしば、脱走を試みていました。放浪癖があったのでしょう。
我が家はかつて商店を営んでいたという事情から、至る所スカスカの造りであったので(その後改築により機密性を獲得)、脱走には最適であったと思われます。



※ 脱走防止に設けられた柵と、機会を伺うまめ子↓ 柵は「まめ籠め」と呼ばれていました。





多くの脱走は、人間側の努力により未遂に終わったのですが、二度、成功してしまったことがあります。
両方とも私は居合わせていなかったので、以下、伝聞ですが……。

一度目は、我が家にやってきてまもない頃でした。まだ、われわれもまめ子のことがよく分かっていなかった頃です。
何らかの弾みにまめ子は外に出てしまい、そのまま遠くへ。気付いた父が全速力で追いかけるも、追いつかず、するとまめ子は神社の方角へ。
父が追って入ると、まめ子は神社でおしっこしており、その隙にしばいて連れて帰ったとのことでした。
この神社は普段散歩のときに通りがかる神社でしたが、ここでは排尿させないようにしていたため、一度してみたかったのかもしれません……
神社には申し訳ないですが、車通りの多い通りに出て事故等に遭わなかったのは幸いでありました。
この事件は、父とまめ子が親睦を深めるきっかけの事件となりました。それまで 「かりそめにうちにいるよう分からん野良犬」だったまめ子を、「脱走されては困るうちの犬」として認識するきっかけでもありました。


↓脱走の翌日、仲直りする父とまめ




二度目は、それから一年ほど経った頃でしょうか。
客人が来てドアを開けた拍子に、お外へ出てしまったのだといいます。一年経ってもまめ子は、脱走の機会を伺っていたのでした。
母がまめ子の不在に気付き、外を見たときには既に、まめ子の姿は 「ものすごく遠く」 にあったといいます。

母は慌てて後を追いましたが、犬の足に追いつくはずがなく、またまめ子は何らかの本能なのか、追いかけるほど遠くへ逃げてゆきます。
このままでは捕まらない、と悟った母は、思い切って、 追うのをやめ、立ち止まったのだといいます。
母は立ち止まり、大声で、
「まめーー!」
と呼んだといいます。

まめ子は一瞬立ち止まりました。
いつも呼んでも知らぬ顔なのに! ちゃんと「まめ」を自分の名として認識し始めていたようです。
立ち止まったものの、再び走り去ろうとするまめ子。母は再び「まめーー!」と叫びました。すると、まめ子は若干戸惑う様子を見せながらも、 くるりと母のほうへ向き直ったのだというのです。
この頃、まめ子が、食べ物を携えていないわれわれの呼びかけに反応することは、非常にまれなことでした。

向き直ったまめ子は、てっ、てっ、と数歩、母のほうへ歩みを始めました。
最初は戸惑いながらの歩みでありましたが、母が再度、「まめ! まめ!」 と呼ぶと、次第に足音は速くなり、まめ子は、てってってってってってっ と母のほうへ走り寄ってきたのだといいます。

「おかーちゃーんー!!」 (※ と、母には聞こえたらしい)


そしてまめ子は、母のいる場所まで戻ってきて、しっぽをふりふりと振ったのです。
まめ子!!!!
その後は、リードを持って駆けつけた父に連れられ、家へ戻ってきました。
このエピソードは、あのまめ子が、母が何もおやつやエサを携えていなかったにもかかわらず自発的に戻ってきてくれた、という点で感動的であり、母は何度もこの事件を語り部のように語っていたものです。(もう逃げられてはかなわんので、翌日はご機嫌取りのため、長めのおさんぽに行ってさしあげました。)



とはいえ、まめ子がわれわれを親しいものとして見なしていたかどうかは、未だにビミョーであります。
先日、知人が犬猫を、やってきて去っていく 「まれびと」 に喩えており、まれびととは言い得て妙であるなあと共感いたしました。殊まめ子に関しては、この語彙はぴったりであるなあと思います。
「犬は家族」などと人間は勝手に申しますが、まめ子的には、旅の途中で立ち寄った(引き留められた)家、という感じやったのかもしれまへんなあ。
まめ子が死ぬ前、父が、「この子、ひょんなことからうちにやってきて、うちで死んでいくんやなあ」と感慨を洩らしておりましたが、本当に本当に、ひょんな縁でした。

「大事にしてもらって、幸せなワンちゃんね」 などと言われることがときどきあります。まめ子本人(本犬)はいつも、「なんの因果かこんなところに連れて来られましたわ」 というような表情をしていましたので、そんなふうに言われると、そ、そうかなー?と嬉しく光栄に思いつつ、なんだかこそばゆくなるのでありました。