劣化の思い出

よく、ネットでは、年をとった芸能人などを「劣化した」と表現していまして、年は生きていれば誰だってとるものであるのにそれをネガティヴにしか捉えられぬ文化はむなしいのう、と思ったりするのでありますが、こんなことを考えるのは自分が中年女になったからかといえばそういうわけでもなく、「劣化」といえば、11、12歳の頃に強烈に「自分は劣化した」という感覚を覚えたことは今でも忘れられない。


10歳頃まで、私は、まあダメな子供ではあったものの、自分でいうのもなんだがすらりとした身体つきをしており(今ではどなたも想像できないことと存じますが)、それを褒められることもあったのでした。(今では考えられないのだが、体操の時間に「ぬらたさんは手足が長いから見栄えがするねえ」と言われたことがあった!! 今では考えられない!!)
が、11歳頃からなんだかアンバランスに身体が変形し始めた。
手足の伸びは止まり、胸部と下腹部がずっしりし始めた。
初潮が早めであったので、初潮が早い子の常として身長の伸びが止まると同時に皮下脂肪が付着し始めた。すると身体がずしーんと重だるい感じになり、はやく動けなくなった。
勿論月経自体も実に重だるいものだった。公園で、まだ幼さの残る同級生の男の子たちと走り回って遊んでいるときに、はっ と、「もうあっち側に戻れへんのや! 違うもんになってしもたんや!」という感慨を覚えたことを記憶している。なんだかベタな感慨であるが、実際にそう感じたのであった。
更に、皮膚に原因不明のデキモノができ、それは数週間で治ったのだが、しみのようになって痕が遺った。

そのときに、「そうか、このようにして汚くなってゆくのだなあ!」と感じたのを覚えています。それまで私はまだ、自分を、つるりとした、きれいな、こども、として認識していたのだと思うのですが、そのこども時代が失われていくのがまざまざと解ったのでした。
まさに「ダメだ!終わった!人生詰んだ」というどん詰まりの気分になったのを覚えています。



後に、楳図かずおの漫画で、自分の身体に徐々に広がってゆく斑点を発見して「はっ!」となる少女たちを見たとき、あ、この感覚知ってるわ、これはあれや、と思った。
楳図かずおは、身体が変形していく(成長していく、老いていく)不気味さを、実に上手く描く漫画家でありますね。



で、思ったのだけど。
大人になってしまったわれわれは、若い人を見て、その美しさは、穢れを知らない、若さゆえの美しさなのだと思うけど、そうではないのだと思う。
ときどき、はっとするほど美しい中学生や高校生の女の子がいる。でもそれらは、一度「詰み」を乗り越えたうえでの美しさなのだと思う。第二次性徴期に「詰み」にぶつかり、どうやってそれを覆い隠すかを上手く考えられた子が、美しく見えているのだと思う。
いわば、上手く着ぐるみを着ていく状態が、15、6歳とか17、8歳の美しさなのだと思う。
私は、大学に入った頃に一瞬だけモテた時期があったのだが(あくまで当社比なのでたいしたことない・ていうかこの時期はたいていの子が一瞬だけモテる)、それまで汚物のように扱われていたのが急に女の子扱いをされ、そのときは、完全に着ぐるみを着ている気持ちだった。「おまえらは着ぐるみだけ見てオレを女の子やと思うているのか、中身は化物なのに」みたいな感じ。
よく男の人で、揶揄的に、「おばはんは若い子に嫉妬してる」とか「若い女はおばはんをバカにしてる」とか、そういう女の争いゴシップを好む人がいるけれど、若い女は自分がおばはんになることを知らないほどバカではないし、そうでないように見えるなら着ぐるんでいるだけであり、また、おばはんは着ぐるんだ若い女から連続してきた生き物である。



ところで、現在、20代から30代も半ばになり、いくらか変化したところはあるが(しわができた、痩せにくくなった、など)、今はむしろその変化は心地よい変化に留まっていて、まだあの12歳の頃ほどの衝撃的な「劣化」体験には遭遇していない。
心地よいと感じられるのは、今は、適度に着ぐるみが脱げている状態だからかなと思います。完全な生身ではないけれど、着ぐるみは半脱げで涼しい、みたいな状態。
今後、生き続ければ本格的な老化が訪れるわけなのですが、そのとき、着ぐるみ全脱げと感じるのかあるいは新たな着ぐるみを着たように感じるのか? 「こんなん12歳の頃の劣化に比べたらまだまだ」と感じるのか「今度こそ終わった、ほんまに詰んだ!」と感じるのか?
生きてたらまたレポートしますね〜。