花はまた咲いた、ウィルコはまた来た

いつもの公園に毎春咲く、小さな花がまたほころんでおりました。




去年も、この季節にこの花のことを書いたのでした。
http://yaplog.jp/maternise/archive/704
このときは 「来年もまめ子とお花を見られるかな」 と取り越し心配をしてはしんみりしておりましたが、今年もまめ子は短いしっぽを振って、このお花のまわりをてとてと走り(お花には何の興味もないですが)、感無量であります。





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話は変わりますが、やはり去年の冬、癌が見つかり「これが最後の来日」と言いながら帰っていったはずのウィルコ・ジョンソンが、なんと今年また日本に来るというので、梅田クアトロでのライブを観に行きました。

癌公表後の姿を見るのは初めてだったのですが、以前に観たときと変わらぬニワトリのような動きで元気にギターを弾いていました。
(私は去年は観られなかったのですが、) 去年、私の友人などは、チケットもないのにライブハウスへ駆けつけたり、号泣しながら観たりしたというのに! なんと。
死ぬ死ぬ詐欺」(!) と言われているようですが、永久に詐欺を続けてほしいものだとおもいます。グレイト・スウィンドル!






超良い番号だった!





超良い番号だったので、ステージの上がよく見えました。
ウィルコはよくニコニコ笑いながら弾いており、こんなに笑いながら弾くのだな、というのが印象的でした。
私は普段、ステージの人の名を呼んだりせーへんのですが、おもわず うぃるこー と呼んでしもたのでした。

ウィルコのライブは、そんなに新奇な試みがあるわけでなくて、だいたいいつも同じような曲、同じような見せ場なのですが、見せ場ではきっちり見せてくれ、サーヴィス精神を感じます(プレイについての細かいことは私は分からんのですが、ギターを向かい合って抱っこするように弾くのとか、背面かつぎ弾きとか、マシンガン弾きとか)。 職人ぽい。
変にアーティスティックなこだわりがないようで、みんなが知ってる曲を毎回演奏してくれるし。
職人ぽいけど、機材などのこだわりはないらしいのもなんかいい。パブロックてそういうもんなんかな。
病気を押して来日、というのも、別に悲愴な決意とかでなくて、このおっちゃんにとってはきっと淡々とした日常の延長なのかな、と思ったりしました。
私はこの日は、特に一番好きというわけでもない Don't let your daddy know がなぜか一番愉しかったでした。


去年は泣きながら観ているお客さんも多かったようですが、今回は皆ご機嫌で、有名な曲のサビは合唱が起きており、イイ感じでした。
アンコールの Bye-bye Johnny は、去年来日の際はウィルコ、 Bye-bye Wilko、と歌詞を変えて歌っていたそうですが、この日はみんな、バイバーイ、と合唱しながら、バイバイやないけどね、と思うてる感じがとてもよかった。


ウィルコを観るのは三度目か四度目なのですが、毎回同じことを感じます。
音楽というのは、単に音の組合せからなってるもので、それを鳴らしてるのはただの人間だのに、なんでそれによって、むやみにハッピーになったり愉しくなったりするんかな、という、非常に原初的な不思議をいつも不思議に感じるのであります。
そしてそのハッピーというのは、単なるハッピーでなくて、ぎゅうっとなるような切ない瞬間であるとか、憤りや焦燥であるとか、そうしたものもすべてひっくるめたハッピーなのでありますが、なぜこの音からこの音へきゅいんきゅいん移るだけで、指を移動させるだけで、てれってれっとここで二音鳴るだけで、そうしたものもすべてひっくるめてハッピーになるのであろう、という、非常に、原点的な不思議を、ウィルコを観るとしみじみと、原点回帰的に感じるのであります。
よかったらまたにほん来てね。



ところでもうひとつ、近くで観られてよかったこととしては、ベースを弾くノーマンの妖怪ぽさを堪能できたことです。
この人は、前回からめっちゃ気になっていたのですが、終始横を向いて全身をうねうねとさせながら(あの動きを上手く言い表せないが……)ベースを弾く様子が、実に妖怪ぽいのです……
さらに妖怪ぽいのは、演奏しながら大量のなんだか分からない汁を飛ばす点です。
いや、なんだか分からないってか、明らかにふつーに汗なんですが、汗とは思えないほど大量のものが飛び散り、ライトに当たってきらきらぬるぬるしているのです。
あまりのことに、思わずノーマンのソロ・アルバムを買ってしまいました。
予想したものとちょっと違いましたが、和気藹々と作ってる感が伝わり、よかったです。「俺とベース」という邦題もなかなか……