紫の煙を吸い込むの巻&御堂会館で死んでもいいと思うの巻


先週のことでありますが、梅雨の中、ロック好きの友人が、森ノ宮のロックケーキ屋(?)に連れていってくれました。

閑静な通りの、こじんまりしたおしゃれなお店。しかし中を覗きこむと、どーん!と壁にでっかいターゲットマーク。
英国出身のパティシェさんが音楽好きらしく、ケーキにはどれも、ロックの名曲やミュージシャンの名がつけられているのです。
甘味とロックという相容れ無そうな二者を融合させてしまうとは……やるな!



ショーケースには色とりどりのケーキが並び、ふつーに目移りしてしまう。迷った末に2個買い。わたしはケーキ屋では3個までは常識の範囲内とおもっております。


左が「ウェラー」、このお店の目玉商品らしい。
右が「パープルヘイズ」。 「オアシス」とどちらにしようか迷ったのですが、明らかに美味くなさそうなネーミングのこちらをチョイス。





パープルヘイズは、煙るような紫のグラデーションが美しい。 中にも紫のクリームが潜んでいて、なるほどここが炎心? 紫はブルーベリーでしょうか、酸味が効いてて美味しうございました。
一方、見た目からまったく味の想像が付かぬのがウェラー。そもそも水色のスイーツというものを初めて見たかも…。水色部分はマカロン仕立て。中の白いクリームは、ヨーグルト風味でした。あんまり食べたことのないふしぎな味でした(色のせいか?)。でもこちらも美味しかった! 上にのってるのは、そう、イチゴのJAM。





友人が食べたのは、コレ↓
レノン(左)と、マンボ(右)。



ちょっとへずりましたが(「へずる」って関西弁?)これもうまかったー!
マンボは見ての通り、マンゴー風味。
レノンはチョコです。上にピースマークがのっかってるからレノンなようです。
だが、食べる過程であえなくピースマークは崩壊……。 友人、「Hate & War !!」 と歌いながらフォークを突き立てる。


そんなお店でしたが、近所の人らしき女性や小さな子たちが絶え間なく訪れてにぎわっていました。
内装も凝っていて、青・赤・白で統一されたテーブルやら、椅子やら。トイレまでUKテイストで固められていて感心。トイレ棚には、ビートルズのなにかが飾られてしました。






ちなみにこちらのお店です。各位森ノ宮にお越しの際は是非。べつにロック好きでなくともふつうに美味しいです。
http://www.broadhursts.com/










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さて、そのあとわれわれは、地下鉄で本町は御堂会館へ、フラワーカンパニーズのライブ・真梅雨の大爆発 を観に。



フラカンについては以前も書きましたが(この記事、当ブログの人気記事になっているようでうれしいですありがとう)、彼らの13年ぶりのホール公演でした。
他のとこでもさんざん書いたのでアレですが、結論から言うと、「生きててよかったそんな夜」がチケット代で買えてしもうたよ!! て感じでした。
私は、客/パフォーマーの距離があるほうが好き派で、客がやたら有難う有難うみたいなこと言ったり演じ手に寄り添ったりするのってちょい抵抗があり、パフォーマーのコンディションやら事情やらは基本客には関係ないこと、と考えたいのですが、フラカンに関しては、いろいろあったようだが続けてくれてありがとう!と思わざるをえない。

「白眼充血絶叫楽団」 を久々に聴いたときから、あ、今日はフラカン史集大成みたいな日なのだな、と思うたのですが、他にも久々に聴く曲、思い出深い曲が沢山、しかも単なる懐かしでは勿論なくって昔聴いたときよりズットよかったしかっこよくなっていた! 
ホールライブといって思い出すのは13年前の、彼らがホール進出しようとしてコケた頃の、ガラガラやった厚生年金会館なのですが、その頃にシングルで出た 「LOVE ME DO」 も演った。これ、当時は、むりやりポップ路線を狙ってしかもすべった、みたいな感じやったので、黒歴史曲なのだろうか…? と思うてたのですが、今聴くとふつうに演奏はやっぱカッコイイし、なかなかキュートな曲じゃないか。 またあのときだだっ広いホールのステージ上がやけに孤独そうに見えたのだったが、今回の御堂会館のステージは、緊張漲りつつも「実家」のようになごやかで楽しげに見えました。
今こんなふうにフラカンを聴けるなんて、年をとってよかったなあ、生きててよかったなあ、としみじみしたのでした。

新曲もとてもよかったのう (ロックンロールなんとか、という歌)。あと、ぐだぐだしたしょーもない喋りも相変わらず可笑しい。


他、最近の定番「元少年の歌」(涙せざるをえない)、通称暗黒時代の名曲「セロハン」(後半からがすごい)「真っ赤な太陽」(ギターが素晴らしい)、98年の大阪球場での一曲目だった「雨よ降れ」(私にとってロック!と感じられるところのしょうもないリビドーと情けなさと愛が詰まってゐる)、デビューアルバムから「むきだしの赤い俺」(下ネタ)など、歴代名曲が演奏され、とりわけ驚いたのが 「夢の列車」。
イントロのシタールみたいなあの音聴いた瞬間は、ここ10年……いや10年てことはないか、…3年くらいのうちで最も昂奮したかも。それにつづいて荒れ狂う汽笛みたいなハープ。
この曲については以前にも書いたが、私にとっては刻印のような曲なのである。
ずっとライブで聴きたいなとは思うていたのですが、今の彼らがやってもリアリティがないんやろか? とも思うていたのです。しかしそれは、今の彼らが演奏しても、圧倒的に圧倒的でした。いや、むしろ以前より凄かった。私が最後に聴いたとき(10年ほど前)よりも、ショー的に洗練されていたのですが(ギターソロの間の演出など)、しかし洗練と純粋は必ずしも相反しない。ギターソロの後、ひとつずつ音が加わっていくあのくだりでは、これはモウ今死ねる!と思うた。そしてラストの、「夢の楽園、夢の毎日、夢の安らぎ」、夢のまた夢夢夢!の絶叫に、ああ彼らはズット同じことを歌ってるんや、と改めて。

すがる思いは、頭の上で、ゆきどころなく、
ささやかな、明日からの、計画を立てろ、
と歌われる、それは、セックス・ピストルズがかつて、おまえらの将来の夢なんか言うたかてお買い物の計画くらいやろ、と歌ったまさにそのしょぼいおまえらの姿であり、死んだ魚の目で日々過ごすわれわれの姿であり、夢見たような大いなる安楽も訪れず、始まりもなく終りも見えず、それはしかし、宮台先生の「でかい一発はこない、終りなき日常を生きろ」みたいな「まったり」でも無い、無いのだよね、無くて、ぜんぜんまったりしてない、血まみれのしょぼさであり。しかししょぼくてダメなままわれわれを躍らせてくれるんがその音であり、その痛快さよ。
そして、ああ私もずっと此処なのだった、と思い出したのであった。フラカンはしばしば自分のライブを、客にとっての「温泉」や「実家」にたとえるという、ロック(パブリックイメージとしての)らしくないたとえをするんですが、温泉も実家も、裸の場所ということなんであるなあ、服やら肩書きやらを脱いで、しょぼい俺に戻る場所なんであるなあ、と解った次第。

で、この日から過去のアルバムを聴き返しては涙しているのでありますが、かつて彼らの音楽を聴きながら抱えていた、 何もかもダメだ!なんでこんなにダメだ! という思い、その思いは今でもふとしたときや仕事帰りなどに襲ってくるのであるがそれをうまいこと散らしてやるのがここ数年すっかり上手くなってしまっていたのが、聴き返すたびにそのときごとに抱えていたその思いがいちいち蘇って、くるしい!でも痛快&小躍り!うわあああ! という状態であります。


そういえば、今回は梅雨にちなんで雨の歌がたくさん演奏されまして、終演後は、「虹の雨上がり」が流れるという心にくい演出がありました。
これも98年、大阪球場でラストに聴いた曲でした。私はハタチにもならん頃でした。
「うまくいくこともあって、うまくいかないことはないのさ」 と歌われるその歌を、そんなことはけっしてなくて、これまで上手く行かないことばかりであったし、これからも上手く行かないことは山のようにあるであろう、としかしそのフレーズがちょっとずつ力強く音足されながら何度もリフレインされるんをあの日聴いていたなあ、と思い出したんでありました。







白眼充血: