何年かぶりにフラカン観たの巻/夢がなくて金がなくて未来が暗くても

「初めて行ったライブは何?」
という話題がよく音楽好きの間では交わされるようですが、わたしの初めて行ったライブは、加藤登紀子
渋いとおもいませんか?
5歳くらいのとき、親に宝ヶ池公園に連れていかれたら、なんか来てたんですよねおトキさん。無料だったのではないかな。「百万本のバラ」とか歌ってて、子供心にも「なんやこの歌すごい!」と思うた記憶があります。


と、いきなり話がそれたが、連れていかれたのでなく、初めて自分でチケット買って観に行ったのは、フラワーカンパニーズ。97年か98年のバナナホール(今は名前変わったんだっけ)でした。
バナナホールなので、アンコールが「くるったバナナ」でバナナが乱れ飛んでいたのを覚えています。
その直後の大阪球場ラストライブ(注:ラストというのは球場にとっての)にも行った。当時のフラカンは、微妙にブレイクしそうな頃で(のちにコケる)、「スタジアム!?すごい!」と思うていったら、大阪球場、ひどく錆びれてて、しかもライブ会場は広い球場の中の囲われた一角だけで、脱力したなあ……。
当時のフラカンは、音的には、王道ロック+パンクにドメスティックでB級ななにか(今思えばURC的なもの)を塗りたくった感じ、で、何よりも、甲高い声で歌われる、傲慢(俺は最高お前らはゴミ!)と卑屈(俺はダメだ俺はダメだ!)の黄金中学生的コンボ歌詞がわたしの中学生ツボにヒットしたのだった。

以降、フラカンは、近くに来たら必ず観に行ってたんですが、ここ何年かなぜか観てなくて、去年の年末、久々に磔磔で観て、それがあまりによかったんで、先月にまたなんばハッチで観た。

最後に観たのんは、たしか2003年くらいやったか。記憶では、(まがりなりにも)スタジアムを埋めた客がスカスカになってしまった頃で、鈴木圭介(ヴォーカル)から「結婚した!子供が生まれた!けど離婚された!悲しい!メジャーの契約も切られた!」という衝撃の報告の後「真赤な太陽」が演奏されるという衝撃ライブがあった頃でした。(ただしこの日の演奏は素晴らしかった・この時代の曲は全て最高。)

その後、CDはずっと聴いてたし、「また客が増えてるらしい」「メジャーに復帰したらしい」という情報も得ていたのですが、なんとなく観に行かんくて、が、去年出たアルバム『チェスト!チェスト!チェスト!』を聴いたところ、これはすばらしい!! ここ最近の曲は、ちょっとしみじみして渋すぎるような気がしていたのですが、コレは、かっこよくてしみじみしつつもかつて私が好きだったところのアホっぽいパワーや愛おしいダメさが炸裂しており、久々に生で観たいかも、と思うてたら、昔の友人がちょうど誘うてくれて、数年ぶりに彼らのライブを観たのであった。






前置きがここまで。なんでわしの文章は長いのや。
久々に観たフラカンは、変わっていなくてでも素敵に年をとっていて、とてもよかった。
40過ぎたヴォーカルの甲高い声がぜんぜん衰えてないことにびっくりした。
スカスカの記憶に彩られていた磔磔は、老(中年)若の男女で満員になってた。
磔磔では、「こんな曲あったなあ!」というレア曲がたくさん聴けて、なんばでは、聴きたかった曲がたくさん聴けて、大変に満足しました。しみじみしすぎてあんまり、とおもってた最近の曲も、生で聴くとやはりよかった。


磔磔でよかったのは、2000年頃の曲がめっちゃよかったこと。この頃はセールスは落ちていた一方で、それまでB級感が強かったフラカンがなんか普通にかっこいい本格的ロックバンド!みたいになり始めて、彼らの情けないかっこよさが好きだったわたしはいまいちのれなかった時期なのですが、今聴くとこの頃の曲も非常にイイ。あんまり言われない(?)けど、この人たちてサイケデリックだよねと思うた。もともと演奏の上手い人たちだと思うのですが、昔聴いたときよりかっこよく聴こえたのは、こちらの耳のせいであるのか彼らの円熟のせいであるのか。


なんばでは、一曲目「俺たちハタチ族」で滂沱(注:ぜんぜん泣くような曲ではない)。「やれるだろうやれるはず/言い続けて27/頭の中ハタチのまま」という彼らが27のときに作られたであろう曲で、当時わたしはハタチですらなかったわけだが、今や27も既に遠く過ぎてしまいしかしまだ、まだ、まだ! となんかよう分からん感慨を感じたらモウ、あんまり演じ手に「ありがとう」みたいなことを言うのは好きではないのですが、こんなに長く続けてくれてありがとう!といわざるをえないような気分になったのやった。
他よかった曲は色々あるんですが、全て書いてると日が暮れるので(もう暮れてるけど)割愛するとして、印象的だったのは「夜明け」という曲。これも2000年くらいにライブで聴き、その頃は荒野に一人立つようななんだかぴりぴりとした「夜明け」であったのだが、今回は、実に気持ちよさそうな、ほんとうに少しずつ夜が明けてゆくような演奏だったのでした。アウトロの、フリーのセッション、というんですかね、それが延々と続くようであったよ。特に、絡みつくよーなギターが突然一音ずつボリューム上げた瞬間に再度滂沱。
して思うたのだが、このバンドは、「年をとるのもいーかもね」と思わせてくれるんがすごく有難い。もちろん、ぴりぴりした若さの美しさやぱっと散るかっこよさもこの世にあるとは思うのですが、ぱっと散らずにいきのびつづけて、華やかではないけど或る程度武器や戦略ももっている、という今の彼らの感じはなかなかにいい感じ。
(これは完全に余談ですが、若い頃は「ベースを弾く野獣」とか言われてたグレートマエカワ氏(ベース)が平均よりかっこいいおじさんになっていたことにも驚いた。若い頃のご様子は画像を検索してください。)


あとこれは記しておきたいのだが、なんばで最もよかったのは、稲妻のようなライトにベースの低音が響く「世田谷午前三時六分」から「口笛放浪記」への鬼気迫る流れ。この二曲は、ほんとうに素晴らしかったのでした。フラカンを観て、こんなにも、美しい、とおもったのは初めてのこと。
「口笛放浪記」の絶唱もとても美しかった。ヴォーカルの圭介という人は、何度見てもそのへんにいそうなちっちゃいおっちゃんなのですが、すばらしいロックスターであるなあ、と思うた。
そうだった、こういう瞬間が観たくて、フラカンを聴いてたんだったなあ、と思い出した。こういう瞬間というのは、特にカリスマ性もない、ふつーの(むしろイケてない)人が、ステージ上でだけ輝く瞬間のことです。と同時に、初めてバナナホールで「夢の列車」を聴いたときのことを思い出した。そのとき、「夢の列車」という曲(名曲)が演奏され、


此処にいるのは今の毎日
夢も希望もない方々
どうぞ周りをご覧なれ
魚目のバカヅラだ


と歌われた瞬間、喪黒福造(せぇるすまん)に「ドーン!」とされるがごとく、ドーン!となったことを思い出したのでした。モーそのワンフレーズで、「そーか、私は此処なのであるなあ!」と指差されたように思ったのだった。それは大学に入ったばっかりかそれくらいの頃だったのでありますが、「今後どうなっても、ダメになっても万が一偉くなってしまったりしても、ずっと私は此処なのだ、コッチ側なのだ」と思ったのを覚えています(注:偉くなる仮定は杞憂であったことが現在では明らかになったが)。それは魅入られであり、まさに彼らが「終身刑」なる曲で「ロックンロールに囚われちゃったら死ぬまで自由になれない」と唄っておるところの囚われ、であり、して、魅入り、囚われを起こす人を、スターと呼ばずして何と呼ぶのでありましょうか。



とかくとても幸福な気分になったライブでありました。また行く。
今度はまたホールでやるらしく、かつてホール進出の際にコケた彼らが…と思うと勝手に感慨です。
かっこよかった話ばかり書きましたが、「もういいから曲やってくれ!」と言いたくなるよーな喋りなど、しょーもない面も健在で嬉しかったのでした。


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フラワーカンパニーズのヒストリーについては、此処↓に詳しいです。
http://ro69.jp/feat/flowercompanyz201010_1
おもろい。
しかし、「客が女ばっかりで辛かった」的な話って、まさに当時の女の客だった者としては複雑なきぶんになりますなあ。以前にあねも、「好きなバンドが、男の客のほうが嬉しいと言っていると、こんなに好きなのにオレじゃだめかー!と思う」と書いててうんうんと思うたのだった。


「ロック・ミュージックとジェンダー」というのは、個人的に興味のあるテーマなんで、以下はフラカンの話とは関係のない一般論として読んでほしいんですが、あの「男性ファンが多い」とか「男性客が増えた」というフレーズが「本格的ロックバンドである」と同義に使われる現象って、あれはなんなんであろうか?日本に限らん現象なんであろうか? ちょっと硬派なイメージだと「男のロック!」みたいな形容をやたらするのんも、なんちう語彙の貧困かと思います。
それが抑圧された者のための音楽であったなら(その図式自体が古いのかもしれませんが)、歴史的に抑圧されてきた性である筈の女性性と、ロック音楽が相容れぬものとして語られがちなのは何故なのか? …いうのはけっこう前から疑問なんですが、しかしそれと同時にわたしには、男性性(とされるもの)への志向というかそういうものが音楽を聴くことで喚起されてそのことの愉悦というのんもたしかにあって、これもあねが言ってたのですが「女に生まれるなら生まれなかったほうがマシ!と思わせてくれる音楽が好き」という言葉にすごく共感したり、そーいや昔一緒にフラカンのライブに行ったNさんも帰り道に「男になりたいと思わせてくれるバンドが好きなの!」と言うていて、分かる分かるとうなずいたのでした。

まあこれらについてはまた他のとこで書きますが、フラカンに関しては、当初女性客が多かったちうのんは、当初の情けなくてかっこ悪くてだがかっこいい、というかっこよさを、女の子たちはちゃんと分かっていたのだよ、ということ、それと、女って、みんなが思ってるほど女じゃないんだぜ、というだけのことではないかな、と思うております。


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話がずれて終わるのもなんなので、youtubeで聴ける曲をいくつか紹介。




復活のきっかけになったらしい曲。深夜高速。






ファーストに入っている「今池の女」。今で言う所謂サブカル少女の唄。
学会で名古屋行ったとき意味なく今池に寄ったくらい好き。だが今池には何もなかった。






キャンペーンで聴いて、最初に好きになった曲「いい事ありそう」。
ほのかにURCぽいとおもいませんか?





酒も女もバクチもできない男の歌。地味な佳曲。





「夢がなくて金がなくて未来がなくても」から畳み掛けるよーなラストのあたりがすごい。





上で書いた「夢の列車」。イントロからもう演奏かっこいいとおもいませんか。






三上寛のカヴァー。はまりすぎではないか。






きりがないのでこのへんで。あと、youtubeになかったけど、「いろはにほの字」は、愛犬を思って聴くと泣いてしまう犬ラヴソング。