近況: 臓物と菊と菊



ここ一週間はいろいろありました。
臓物を投げたり投げられたり、
菊を手向けたり手向けられたり。


まず、先日。
ナメちゃんと、心斎橋に、theスターリン観にいったのでした。
http://www.apia-net.com/michiro/

開演前から、ステージに爆竹が投げ込まれ、あちこちで怒号というかツッコミの声。
さらに、共産党共産党! の合唱。
「本日の公演で何があっても当ライブハウスは責任を負いかねます」的な、80年代のよーなナレーションに、これまた「このゼロ年代にどこに棲息していたんだい?」と問いたくなるオールドパンクスが歓声。
オールドパンクスは、最初に騒ぐだけ騒いでへろへろと退場していったので、ふっ、見かけ倒しめ、とおもっていたところ、「ロマンチスト」演奏時にちゃんと 「吐き気がするほど!」 と怒鳴りながら再登場したので、なんか愉快になりました。

みんな大好き「ロマンチスト」。
が、この日演奏された中では、「負け犬」が最も私はよかった。




さらに、中盤では豚の頭と臓物が登場。
機材やらにひっかかった腸が天井からぷらんぷらん下がってる様子は、意外にも幻想的でした。
投げ返す客の側も、器用にくるくる腸をまるめてダイブしながら投げるなど、年季の入った臓物投げ返し職人がいました。
臓物投げは、前衛とかアングラとかいうより、もはや伝統芸能なのだなあとおもいました。
一同にこにこと笑顔だったし。 「臓物投げは愛だ」というのはこういうことだったのか…。


だが、終始にこにこであったわけでなく、「虫」は鬼気迫る熱演だった。
イヤになったよ、おまえなんか知らない、死んだんだ、
と歌いながらミチロウは、菊の花を客席に散らしてゆくのだが、かつてのギタリストであったタム氏への手向けの菊であったのでしょう。
このライブの冒頭、タムさんの訃報が伝えられたのでした。
「虫」は、タムさんが弾いていたときの曲であるとのこと。
さらに、アンコールでは最後にアコースティックで「Mr.ボージャングル」が歌われ。
暴れてた一同じっと立って聴いていた。 
投げ返しそこねて握ったままやった臓物が、右手の中でなまぬるくなっていったよ。


わたしのもとへ飛んできた菊と臓物↓






そんな感じで、臓物を投げつ投げられつしていたところ、
週明けには、わたしの母方祖母(おばあ)の訃報がありました。
じつはここしばらく見舞いの日々であり、長くはないとは分かっていたのですが、少し持ち直し気味だったためもしかしたら春まで、と期待してもいたのでした。
通夜・葬儀もあわあわとどうにか完了し、現在やっとひと息ついたところです。
それにしても、週に二本も菊の花を手にすることになろうとは、思わなんだよ。





まご一同からも盛篭を祭壇に贈りました。なぜか乾物盛篭。
ふつうはお花や提灯を贈るものらしいですが、
お花はいずれ枯れるし、
提灯は葬儀屋を儲けさせるだけなので、
ってことで。
「なんだこれは」「かわいい孫からの供養とは思えん」と当初不評だったのですが、最後みんなでわいわい乾物を山分けできたのでよかったとおもいます。
葬儀には乾物、おすすめです。





これは火葬場の喫茶店…。 レアなので写真撮りましたが、きわめてふつうでした。
ぷりんを喰ひました。火葬場ぷりん…。しかしきわめてふつうでした。


人が死ぬというのは、一種祭りのようなもので――まあおばあの場合、大往生であったためもありますが――、葬儀までの間は準備にばたばたと忙しく、ひさしぶりの親戚も集ったりと、一同ばか騒ぎでした。
遺体の前で、「乳祭り」や「リア充dis」や「万札事件」などいろいろなネタ事件もあったのですが、まあまたいつか書けたら書きます。

さらに、いつも思うが、葬儀ちうのも妙なもので、悲しむタイミングや悲しみの所作が、慣習や規則や葬儀屋のアナウンスによって規定されるわけです。
もっとも祖母の死を悼んでいるのは子や孫であるわれわれであるはずが、
「では故人様の生前の御遺徳を偲んで哀悼を」
という、祖母の生前の遺徳など知るはずもない葬儀屋のアナウンスに従って哀悼の意を表し、
「本日は故人様のためにご参列をありがとうございました」
となぜか葬儀屋にお礼を言われる、という。

だがこのように形式があるということは有難い一面もあって、
ほんとうに悲しみや或いは面倒が起こってくるのんは、
葬儀の後なんでありましょう。


実際、葬儀が終わってから、予想外の虚脱とさみしさで驚いています。
数年前、母方祖父(おぢい)が死んだときも悲しかったけれども、こんなにしみじみ淋しくは思わなかったのですが。
じぶんの年齢のせいでもあるのでしょう。
昔、黒谷さんの庭でおばあに連れられて遊んだことなど、思い返してはしみじみしています。

わたしは、昔から、同居の父方よりも同居していない母方親族のほうに帰属意識をもっていました。
子供時代は、日曜のたびに「おばあちゃんち」(母実家)に通っていたものでした。自分ちの祖父母の前では優等生的でいねばならんというアレがあったんですが、「おばあちゃんち」ではやんちゃな孫であることができ、そこは一種のアジール、っていうんか、そんな感じであったのでした。また、気の合ういとこやいろいろなおもろいものに会えたのも「おばあちゃんち」においてであったし。
成長後はそう頻繁に「おばあちゃんち」に行くことはなくなり、さらにおぢいがいなくなり、おばあが入院し、いろいろと変化はあれど、おばあが生きているということで象徴的な「おばあちゃんち」は存続しているような気がしていたのですが、そのようにして55年体制並みの安定感で続いていたものがなくなってしまったのだなあ、というのがしみじみの内容なのでしょう。
というかなくなったからこそ気づいたという気もするんであって、まったく、死んだものほど愛してやるさ(c:ミチロウ)、なのですが。


また、母実家が、子供時代の別名としてのアジールであるというのは、うちに嫁にきてしまった母にとってもまったくそうであったわけであり、よって、今回は、わたしの祖父母が死んだ、ということよりも、母の両親がいなくなってしまった、ということを思うとなんともしみじみ悲しいのでした。
自分に子がおらんせいでもあるのでしょう。
ともあれ、母方親族には来月めでたい予定もあるので、残された面々は明るくがんばりたいものです。



ところでひと息ついてまめ子をさんぽに連れて行ったら、ミチロウの菊がまだありました。
ライブ後、飛んできたやつを持って返ってしかし家に持ち帰るのもアレなので、近所の神社においてきたのでしたが。
まめ子はさかんに匂いを嗅ぎ、やたらと興奮してました。
なんで?と思ったら、この菊、臓物と一緒に握ってたもんで、臓物臭が移っているのか…。