羽化と非羽化

そんなわけで、春です

お花見と花粉症と羽化の季節です。
先日、我が家の虫かごに林立してゐた四蛹のうち一羽が、ついに、羽化なさりました。
かわいいナミアゲハでした!
春型だからか、少し小さめです。



↑羽化したてのアゲハさん


普段なら、しばらく家の中で飛行練習をさせてから放流するのですが、この日はもう夕方だったため、日が暮れる前にとお外に出してやることにしました。(それに、内だとまめ犬に喰われかねないし。)

ですが、お外に連れていっても、アゲハさんはなかなか飛び立ちません。
わたしの指の先から手の甲へ、手の甲からまた指の先へと行ったりきたり。
先端まで来ると、六本の脚をうごうごさせながら、踏み出すのを躊躇っているご様子です。




↑がけっぷちでためらうアゲハさん。あとはとぶだけ。





しばらくぱたぱたとはばたき練習をしているうちに、次第にじょうずにぱたぱたできるようになり、羽根もきれいに開くようになりました。




で、椿の木に乗り移り、覚束ぬながら、枝から枝へ。
ときどき枝から落っこちそうになるかと思いきや、しっかりと掴まりなおしておられました。
わが子のよちよち歩きを見るようにはらはらしましたが、ヒト科の子が何ヶ月かかって歩くようになるのを、数十分でやってしまうのだなア、と感動。

しばし見守ったのち、放流。元気でな。






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さて、このように、羽化姿で春を迎えた虫さんがいた一方、羽化に至らなかったものどもがいたことも、付け加えたいとおもいます。
蛹化にまで至ったにも関わらず、ヤドリバエに寄生されていた虫さんが二匹、そして、……数奇な運命をたどったみみちゃんのことは、是非記しておかねばなりません。



【数奇な運命をたどったみみちゃん】

秋に紹介したみみちゃんは、外飼いの幼虫でした。
虫かごの中で完全保護状態の「内飼い」の幼虫さんに対し、庭の木で放し飼いの「外飼い」の幼虫たちは、丈夫そうで健康的ではありますが、いつ何時外敵にやられていなくなってしまうかもしれんという危険にさらされております。
そんな中、このみみちゃんは、無事に五齢幼虫にまで育っており、日々ほのぼのと眺めていたのですが…。


……ある日、いつもの木に、みみちゃんの姿がないっ。
やっぱり鳥に食べられてしもうたんか……と落胆するわたしに、祖母は言うたのです。

「その木ィに、なんや気色の悪い虫がぎょうさんついてたさかい、とっといたげたえ。 殺すんはかわいそうやと思うて、ドブに捨てた

祖母ー!!!

「殺すんはかわいそう→ドブに捨てる」という絶妙な論理関係につっこみを入れることも忘れ、わたしは、みみちゃんが捨てられたというドブを漁りにゆきました。だが、当然ながら既にみみちゃんの姿はなく。
ごめんよみみちゃん……保護しておいてやればよかったね……。
でもまあ、仕方ありません。祖母にしてみれば害虫駆除をしたまでであるし、そもそも外飼いの幼虫さんは、いついなくなってもふしぎはないのです。
と思いつつも流産したような喪失感を抱えたまま、その日は寝ました。


そしてその翌朝。
何気なく、庭に出たわたしは、驚くべき光景を見たのです。

なんと、ドブ板の上に、いっぴきの幼虫さんがちょんもりと鎮座し、こちらを見上げていたのです。
みみちゃん!!
それは、紛れもなく、もう死んでしまったであろうと思われたはずのみみちゃんでした。
一体どうやって自力でドブの中から這い上がってきたのでしょう。わたしは感動に震えながら(注:ほんまにふるえた)、「こっから引き上げてたもれ」 と訴えるみみちゃんを救い出し、いちもにもなくケージの中に連れ帰ったのでした。


その後数日、みみちゃんはケージの中で、もぐもぐとはっぱを食べ、元気に過ごしていました。
が、数日後の朝、「みみちゃん! おはよう!」 と揚々と様子を伺いに行ったわたしは、悲しい光景を目にすることになるのです。


………みみちゃん、溺死してる………。



このときのことは、こうして思い出して書くのもつらいことであるのではありますが――、
ケージの中には、幼虫さんたちの食用はっぱを入れており、その枝の先端は、水を入れた小さな容器に浸しています。
もちろんその中に幼虫さんが落下しないよう、容器にはアルミホイルで覆いをしているのですが、それに穴を開けて枝を刺しているため、どうしても枝の周りに少しの隙間ができてしまいます。
どうやら、その僅かな隙間から、
みみちゃん、落ちたっぽい………。


今度は祖母のせいではなく、もっとしっかり覆いをしておかなかったわたしの過失であります。水の中にゆらゆらとただよう小さなみみちゃんの姿を発見したときの、わたしの自責と落胆を想像していただけますでしょうか。わあああ。せっかく奇蹟の生還を遂げたみみちゃんだのに!己の不注意のせいで!うちの阿呆!うちの阿呆! 今こうして書いていても、じつにつらい出来事でありました。
みみちゃんが成人(成虫)になっていたら、どんな蝶々だったのであろうと想像しつつ、
「ドブに捨てられる→ドブから奇蹟の生還→保護→水死」
という数奇な運命をたどったみみちゃんを、聖人(聖虫)の列に加え、いつまでも忘れずにいたいとおもいます。





↑外飼い時代のみみちゃん