ラヴがわかった? の巻

愛というものは、古今東西詩歌のモティーフであり続けてきており、現代のヒットチャートを賑わせている流行歌も、そのほとんどはラヴ・ソングであるとおもわれます。

が、わたしは昔から、ラブソング聴いて共感するワー、というのんがどうもよくわからんのです。
曲としていいネ!というのはあるんですが、この歌詞に共感するワー、というのんがあんまりないわけです。例外も、わずかにないではないですが(注1)。
注1) たとえばこれ

で、世のひとびともそういう感じで、まあフィクションとしてそれらを受容しているのであろうと思っていたのですが、

「最後のキスは煙草のflavorがした♪、分かるー、あるある、切ないよね、って共感できちゃうー!」

と語っている女子をTVで見て(注:うただひかるが出てきたときに、彼女の魅力は何かみたいのんを街の若者がインタビュされてた)
そうなのか! 世のひとはそうして自分の体験と重ねながらラブソングを聴いているのか!
と驚いた次第でありました。
やはりじぶんには何かが欠落してゐるのか……。


しかし! しかしですよ皆さん!(←サンボマスター風に語るよしだ氏風)
わたしはこの間、発見をしたのですが、ラブソングに歌われる「きみ」や「あなた」を、まめ子に置き換えながら聴くと、非常によく解るのです!

これまで、陳腐なことばよのぅ、とおもっていた言葉の数々が、なんとリアルで、いきいきと響き、共感性を帯びて立ち現れることでありましょう。まめが其処に、生きてるというしんじつだけで、幸福なんです、云々。
そうか、世のラブソングとは愛犬を思って歌われた歌たちだったのだ、と、知ったのでした。


なお、まめ子のキッスはときどき納豆ぽいフレーバーがします。
(しょっちゅう納豆(注:まめ子大好物)を食べているため。)



後光



(父撮影)