青い靄に包まれた鳥居ちゃんです。ちょっと珍しいです。
つぎはぎされたようなこの壁の風情も良いです。ダンメンの一種でしょうか?
青い靄に包まれた鳥居ちゃんです。ちょっと珍しいです。
つぎはぎされたようなこの壁の風情も良いです。ダンメンの一種でしょうか?
先日yamayoshiさんから、期間限定・ローソン限定で最初期わさビーフが復刻されました!
これは嬉しい!
なんといっても私はわさっち(わしゃビーフ)のファン。彼がリストラされて新しいキャラに変わってしまったときは、このブログでもさんざん嘆いたものでした。
最近のyamayoshi報告/衝撃!わさっち(旧わしゃビーフ)の引退!? - 京都ぬるぬるブログ2.0
またわさっち(わしゃビーフ)に会えるとは思わなかったよ~~。
お店では現行わさビーフとともに並べられていました。復刻はこの後すぐに売り切れてるっぽかったです。
この初代パッケージの見どころはなんといっても、その後二足歩行になるわさっち(わしゃビーフ)が牛っぽい姿を見せているところでしょう。洗練される前の野生の姿って感じでたまりません。のったり、のんびりとした風情が懐かしく愛おしいです。そしてトロンとした魅惑のまなざし……。とりあえず3袋買いました。
パッケージだけでなく、中身のお味も35年前の復刻だそうです。完全な復刻なのかは分かりませぬが。(以前新旧わさビーフを比較しましたが、復刻わさビーフの原材料表示は、このときの新わさビーフとも旧わさビーフとも微妙に違いました。)
今回、現行verと食べ較べてないので確かなことは言えませんが、とりあえず復刻を食べての感想としては、「わさビーフ、こんなマイルドなお味だったのか~」て感じです。わさびの刺激が少なく、ビーフ味がほのかに後を引く、という感じ。優しいお味でいいですね。刺激的なyamayoshiも好きですが、定番はこういうのでぜんぜんいいよ~~!
twitter上で行われた現行vs復刻対決は、復刻に投票しました。結果、復刻の勝利だったようで、滅多に多数派になることのないわたくしも喜びです。またときどきでいいのでわさっち(わしゃビーフ)に会いたいです。できればカムバックしてほしいが。
ちょっと前の話になりますが、9月頭に「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス」を滋賀県立美術館で観ることができました!
途中までやってたの知らんくて、これは絶対観たい!と思いつつ夏中バタバタしてなかなか行けずであったので、無事会期中に行くことができて嬉しかったです。
塔元シスコという画家は、一般的にはあまり有名ではないのかもしれません。私は2009年に京都造形芸術大学(今は名前変わったんでしたっけ)で観た『マイ・アートフル・ライフ』という小さな展示が初めての出遭いでした。そのときの衝撃、「うわーーー!!」という幸せな感じは忘れません。当ブログにも感想を書いていました。
この頃は、創造と病理、だとか、単為生殖的エネルギーと両性生殖的規範、だとかいうものが自分のテーマであったので(いや、今もそうかもしれんのですが)、それに関連して思うところがいろいろあったようで、無駄にエモくて読みづらい文章になっておりますが(昔の自分の文章は今読むと無駄にエモいのでやめてほしいです――今の文章も後から読み返せばそう感じるのでしょう)、しかしえらく幸せな衝撃を受けたことは伝わるかと思います。
シスコさんは、大正2年、熊本の生まれ。40代のとき、夫を亡くし、自身も脳溢血で倒れたのち、リハビリを兼ねて石を掘り始めます。本格的に油絵を描き始めたのは50代(上の記事では「70歳を過ぎてから花開いた」としていますが)。画家を目指していた長男の道具を使って、見様見真似で描き始めたのが初めだったそうです。
シスコさんの絵は、wikiでは「素朴派」とされています。専門的な美術教育を受けたことがないという点では、アール・ブリュット、アウトサイダー・アートの文脈で考えることもできるでしょう。遠近法が用いられない画面や、画と文字が一体化して作品を形成している点などは、アール・ブリュットと呼ばれる作品によくある特徴と一致していますし、何よりも、模倣や既成のスタイルではなくおそらく自らのうちから湧き上がるものによって描いている、という点がまさにデュビュッフェが言うたそれ。しかし「アール・ブリュット」って概念は、現代におけるその意義とかあれこれ考え出すと使いづらいところもあって、そんなことを考えてたら、今回の図録で解説を書いてはる橋本善八さんの文章――シスコさんを「画家」と呼ぶのは違和感があるという話から始まる文章なのですが――の中に、「もし、画家という言葉で彼女を形容しないとすれば、画人という言葉しか、私には思い当たりません」という一節があって、ああ、「画人」! なるほど、ぴったりや~ と思いました。
シスコさんの絵は、色彩もきれいで楽しくてまさに「パラダイス」という感じで、今回「パラダイス」ってタイトルをつけはった人はパラダイサーが作るあのパラダイスのことも念頭にあったんかな? と思うのですが、パラダイサーが作るパラダイスと同じく、ひとつの小宇宙を成して観る者を包んでくれます。展示室の中でみんなパラダイスに包まれているようで、ハッピーな空間でした。
私は、「造幣局の桜」の前に来て、涙が流れてしまいました(最近絵とか観るとすぐ泣く)。あんまり桜のピンクが鮮やかで。写真撮影OKだったので写真を撮りましたが、写真だとあの色彩が充分に出ませんのう。実物はこの何倍も華やかな、目に飛び込んでくるようなピンクなのです。
この絵は、以前にも観て好きになった絵なのですが、桜の中に白いウサギたちがいます。造幣局には実際はウサギはいないんですが、これは愉しい気持ちを表しているのだという解説を以前に読んだ気がします。いいなあ~~。シスコさんは50代の後半から大阪の枚方市に住んでいて(今回その団地や周辺の様子のパネルもあって面白かった!)、造幣局をはじめとして知ったところがちょくちょく描かれているのも嬉しいな。
他に、今回ぐっときたのんは、子供時代の思い出が描かれた絵たちです。最近自分も次第に子供時代が遠いものになってきたからか、それを作品の形で残そうとする作業を見るとそれだけでも感動してしまいます。そして、好きなものや思い出の場所や人たちを再現しようとするシスコさんの作品は、その懸命な気持ちがあふれていて、意地悪な気持ちがぜんぜん感じられないのが、なんしか最近の表現でいうと「尊い」と感じます。
その懸命な気持ちを無垢とか純粋とかわれわれは感じるわけですが、しかしそれは技法が無いとか独創性が無いとかいうこととは違って、たとえば上のウサギが描き込まれている工夫もそうだけど、子供時代の自分と現在の自分の孫たちが時を越えて一緒に描かれてる絵とか、「あ、絵ってそんなんありなんや!」と驚かされました。自由で、かつそこに衒いがないのんがええな~と思いました。また、苦労することや悲しいことがあっても、心の奥のほうに子供時代の記憶が新鮮できれいなまま保存されていて、それをいつでも取り出して慈しめるタイプの人やったんかな、と一連の作品を観ながら思いました。
作品はほぼ時系列で並べられて、完成時の作者の年齢が添えられていたのですが、一枚一枚の前で「ほー!●●歳のときか!」「●●歳か! えらいもんやなあ!」と感嘆してるおじいさんがおられて面白かったです。おじいさん自身がおいくつか分かりませんが、シスコさんの絵に元気づけられはったんですかね。そういえば、私は、最初に観たとき(2009年なので13年前ですね)はまだ30歳になるかならんかくらいやったんで、50代から創作を始めたという話を「マジか!すげえ!」と思ったのでしたが、今では、ぜんぜんアリやな! と思います。
いろいろお写真撮ったんですがちょっとだけ。
小動物とか植物を描いた絵もどれもよかったです。綺麗! シスコさんは本格的に絵を始める以前から、動物や植物を育ててスケッチするのが好きだったそうです。
立体物もいろいろありました。美術館のお庭を背景に、お人形。
晩年の作品。88歳のときに認知症を発症してからもシスコさんは描き続けていたそうです。大きな作品は少なくなりますが、色彩はますます鮮やかで、サイケデリックでもあります。(額も素敵。)
図録買いました! 嬉しい。しかも国書刊行会さんや~~。
買うてきたポストカードを玄関に飾ったよ。出掛けるとき見たら元気出るかな~と思い。隣は「犬のよさ展」で買ったやつです!
****
ところで滋賀県立美術館は、車がなければ瀬田駅からバスで行かねばならず若干不便なのですが(一度歩いていったけどめちゃ遠かった)、私はバスが苦手なので、今回は石山駅でレンタサイコーを借りてチャリで行きました! 暑かったけど、このへんは一度走ってみたかった道でもあるし楽しかった~~。
旧東海道沿い。厳めしい蔵だけど注意書きがフレンドリー。
理容室のよさ。
KOBANのよさ。
琵琶湖へつながる瀬田川。9月初めだけどまだプールに人がいました。
今年もまめ子記念日がやってきました。
今年は、まめ子がやって来た日から17周年です。
17年経って薄れている記憶も多いはずですが、未だに、まめ子のことを思い出したり書いたりする時間は愉しい時間です。
***
先日ひととまめ子の話をしていて改めて思ったのは、まめ子は、「理性」と「野生」が絶妙なバランスで同居している犬であったな、ということでした。(ここでは「理性」と「野生」の両概念を対立項として使っています、諸説あることとは思いますが便宜的に。)
ご存知のように(ご存知のように?)まめ子は元・野良犬でした。犬社会での社会性がなくすぐ他犬と喧嘩をしたり、猫や小動物を見るとブレーキを失ったかのように遅いかかっていこうとする(おそらく食うために)という、ワイルドな、というか粗暴な一面がありました。散歩中に遭遇した猫を食らおうとするまめ子を、近所のおっちゃんとともにしばきまくってやめさせ流血した(私とおっちゃんが)こともありました。子犬時代から飼っていればまた違ったのかもしれませんが、成犬になってからの出遭いであったこともあり、何でスイッチが入るや分からぬ得体のしれない面がまめ子にはありました。
一方で、小型犬に吠えかけられて向かっていこうとするも「いやいや、許したろ」みたいに思いとどまるまめ子の姿、母と喧嘩してめっちゃ吠えまくった後に「さっきはすまんな……」と手を舐めにきたまめ子の姿も、われわれは記憶しています。
よく覚えているのは「野犬事件」です。ある夏、われわれはまめ子を連れて山へ行きました。山の中に小川の流れる場所があり、そこにまめ子を浸けながらキャッキャウフフしておりました。まめ子は水は苦手でしたが、浅瀬だったこともありおっかな足を浸けた後は気持ちよさそうにしていました。
しかしそうしているところへ、突然別の犬の吠え声が! 土手の上を振り返ると、まめ子と同じくらいの大きさではあるが明らかに風格が違う感じの犬が、われわれよそ者の闖入を咎めるかのように吠えたてていたのです。野犬なのか、このあたりで放し飼いされている犬なのか。やがて野犬(仮)は仲間の野犬(仮)を呼んできて、われわれとまめ子は、土手の上から計3匹の野犬(仮)に吠えたてられることになりました。
そのときのまめ子の反応よ……! 元・野良犬のワイルドさを発揮するかと思いきや、しっぽを巻いて「ふーん、ふーん」と鼻を鳴らし、ソワソワとその場で小刻みに足踏みするのみ。 野犬たちが立ちはだかっているのはわれわれの車の前。母が「あんたら! 棒を拾いよし!」と号令をかけ、われわれはそのへんに落ちていた木の枝を拾い、フリーズしているまめ子を妹が抱え、野犬たちを牽制しながらなんとか車にまめ子を積み込んでその場から逃げ去ったのでした。
その間まめ子は「ふーん」と不安な表情を作るのみで、犬のくせにまったく対・犬対応ができませんでした。「そこらへんでちょっと不良ぶってたやつがガチもんの不良にからまれたとき」の反応か!(いやべつにまめ子は不良ぶっていたわけではないが……。) このときは、まめ子って野生に見えるけどやっぱ「都会の犬」なんやなあ……と思いました。
事件の舞台となった川
その後?
***
ところで、まめ子が来てからこのように、川や山や湖へ行く機会が増えました(海には行けずじまいでしたが)。
父親がアウトドア好きであるので、子供の頃はしばしばそうしたところに連れていかれましたが、成長してからはそんなこともなく、そもそも家族で出かける機会というのがありませんでした。車も、人が二人しか乗れない小さなものでした。しかしまめ子の到来により家族で出かける機会が発生し、自動車も少し大きめのやつに買い換えたのでした。「ドライヴ」というそれまでになかった概念も我が家に導入されました(目的なく車に乗るということはそれまで我が家になかった)。
犬には、車が好きでない犬もいるようですが、まめ子は車が大好きでした。人間が車に乗りそうな気配を察知すると、シュタッと立ってついてこようとするのでした。どこかいいところに連れていってくれる機械という認識だったのか、車に乗ることそのものが好きだったのかは分かりません。前の飼い主にも車に乗せられていたのかもしれませんね。
しかも、車の識別が或る程度できていたようで、道端で、我が家のと同じ車種の車を見たとき、おすわりして「乗り込む姿勢」になったことがありました。
車に乗る際、まめ子はだいたい後部座席に私と一緒に座ります。その際、かたくなに私のほうに尻を向けて座るのですが、遊んで疲れた帰り道などごくたまに膝に頭を載せてくれることがあり、嬉しかったものです。
基本姿勢
超レアな「頭を膝に(ちょっとだけ)預けてくれてる」場面!!
しかし、ドライヴ中のまめ子の姿を思い出すときに真っ先に思い出されるのは、その熱心な後頭部です。
まめ子はドライヴ中、ずっと窓の外を熱心に眺めていました。「元いた街を探そうとしてるんやろか」と言い合ったりもしましたが、単に、景色が移り変わってゆくのが好きだったのかな、とも思います。
もうじき、親も運転免許を返納しなくてはならん年齢になりますが、親や妹の運転で(※私は運転ができない)、京北町の川へ行ったことや、道の駅で誰かが買い物するあいだ他の誰かが外でまめ子を連れていたことや、湖岸道路を走って琵琶湖沿いの公園でまめ子を散歩させたことは、今でも良き思い出です。
食べ物と「ホテル京都」のことばかり書いてしまいましたが、他にもさーもんさん(仮)の案内でいろいろ巡りました。すっかり新潟が気に入ってしまったわたくしです。レコ屋とかサブカルスポット的なところも案内してもろてかなり愉しかったのですが、それらは写真に撮ってないので、以下、比較的観光地的なところの記録です。
さーもんさんの推しスポット。
ただの道の駅……かと思いきやめっちゃ充実してて楽しい! 新潟の名産を売る館と新潟の歴史や文化を紹介する館に分かれており(※もうひとつ「時の旅人館」というのもあったが休館していた……気になる)、長居してしまいました。
新潟は鯉でも有名なんですね。案内表示における「コイのえさ」の存在感がすごい。
新潟の日本一情報いろいろ。
この異様な写真は何!? と思うたら、「レルヒ祭」なる祭らしいです。
写真中央で異彩を放っている着ぐるみが「レルヒさん」というゆるキャラ。
レルヒさんは、日本に初めてスキーを伝えたというオーストリアの軍人、テオドール・エードラー・フォン・レルヒをモデルにしているそうです。初めて知った! さーもんさんに「レルヒさんの歌」を教えてもらい、youtubeで調べてみたら、たしかに中毒性のあるヤバソングでした。
「朝は早起きおちゃめなおじさん」「おひげがかわいい照れ屋なおじさん」……ほんまにそんなキャラだったのでしょうか。レールヒレルヒレルヒっさーん すきすきスキー レルヒっさーん ♪
新潟の歴史を学べるコーナーでは、トキの天然記念物指定が意外に早かったこと(昭和9年)を知るなどしました。
これは、明治期の万代橋を描いた絵の隅っこにいた可愛い犬です。
現存するホテル「イタリア軒」の再現も気合入ってました。みかづきといい、新潟はイタリアが好き?
これは昔の新潟の農家の再現コーナーなんだけど、雪が降っててすごい!
この日、超暑かったので有難い! 真夏の雪!
さーもんさんによると、「サラサラしていない、ボタボタした雪の質がまさに新潟の雪」だそうです。
この施設、この雪降らしマシーンだけでなく、ジオラマの民家の前で老人が昔を語るという設定の映像(この説明ではよく分からんと思いますがすごい!)とかも、お金かかってるな~ という感じです。豊かな時代の産物という感があります。さーもんさん「今はもう作れないのではないか。この施設自体が歴史的。この施設を作った裏話などがまとめられた本がほしい」。私も同意です。
ふるさと村には素敵なお庭もありました!
向こうに見えるメルヘンなお屋根の建物が物産館で、ここで例の新潟Tシャツやトキトートをゲットしたのでした。実はトキトート、関空で持っている人を見かけて「なんだあれは!? どこで買ったのか訊きたい!」と思いつつ勇気が出ずだったのです。新潟でふつうに売られていたのか!
日本海の近くは小高い傾斜のある地形になっていて、このあたりは高級住宅街があったり、文化施設があったり。高級住宅街だけあってわれらの好きな変貼り紙や変看板はあまり採取できませんでしたが、良きお散歩ができました。
そもそもの目的はここ、「安吾・風の館」。
旧市長公舎に坂口安吾関連の資料を展示しているという施設です。そういえば安吾も新潟の人でしたね。建物に入ったときにはもう「暑い」しかなかったので、まずは何よりも冷房のきいた展示室が有難かったです……。展示の中でよかったのは安吾の「税務署対策ノート」。国税庁とのバトルを書いた『負ケラレマセン勝ツマデハ』は未読だった! 読みたい!
(ところで上の写真のうちわの絵にお気付きでしょうか。ばんにゃい~~。)
近くの「砂丘館」という建物。ふらりと覗いたら写真展をやっていたので入りました。「堤外地 榎本千賀子写真展」。阿賀野川流域の自然と人工物の写真でした。
なんか上品な建物でした。
室外機が木の函で囲われ枝のようなものが飾られて(?)いるー! 室外機まで上品でした。
そしてこれがどっぺり坂。
「どっぺり坂」の由来が面白い。かつて坂の上に旧制高校(現新潟大学)の寮があり、この坂は花街へ行く際に通る道でした。よって、ここを通ってばかりいると留年する(=ドッペる)、って通称ができたそうです。いかにも昔の旧制高校生ぽい。
坂の上側が海側で、海へ抜ける道もあり良い感じ。これはどっぺり階段(そんな名前はない)を上から見たところ。神戸にもちょっと似てますね。
どっぺり坂には可愛いケエキ屋さんもあり、「どっぺり坂ブレッタ」を買いました。(ブレッタて何? と思って検索したら「どっぺり坂ブレッタ」ばかり出てきた)
チョコレートが有名なケエキ屋さんのようで、チョコ系のケエキがいずれも超美味しそうやったんで、今度はケエキも食したいです。店内の装飾も可愛かったです。
どっぺり坂から少し下ると「オギノ通り」があります。
「オギノ式」で有名な荻野久作博士の居宅があった通りとのこと。荻野先生も新潟だったのか(生まれは愛知、東京帝大を経て新潟で仕事していたらしいです)。オギノ通りにはオギノ公園もあり、水も流れて、近所にあったら落ち着きそうな良き公園でした。藤棚の下に荻野先生像もありましたが、さーもんさんから「あそこは絶対上から毛虫が落ちてくる」という注意を受け、遠くから写真を撮るに留めました。
べつに新潟名物でもなんでもないと思われますが、超いいカフェに入りました。こうした「旅先のカフェ」は思い出に残るものですよね。ハーブティー美味しかった~~。
お味、値段、可愛さ、すべてが良かったです。お分かりでしょうか、スティックシュガーの袋まで可愛いのです。ティーセットは「雰囲気五線譜」ですね!
店内は、ドールがいたりぬいぐるみがいたり。お店の方が田村ゆかりさんのファンのようで、ゆかりさんグッズの祭壇的なコーナーがあり、お歌も流れていました。店名も彼女に由来しているようです。ファンの人にはたまらんお店でありましょう。
なんとサービスですいかも出てきました。さーもんさん「これまでで一番上品にカットされたすいか」。
観光らしく、展望台にも上りました。展望台は朱鷺メッセにあります。別名「ばかうけ展望室」。あ~ ばかうけの栗山米菓も新潟なんですな。新潟に行ってから、スーパーの米菓コーナーはほとんど新潟に支配されているということに気づきました。
展望台って上ってもそんな印象に残らぬことも多いですが、ここは信濃川が海に流れ込む美しい地形を見られてよかったな~~。晴れてたし。
朱鷺メッセの隣には佐渡汽船の乗船場があります。佐渡汽船のロゴがかわいい。佐渡にもいつか行ってみたいですのう。
星たべよ(これも栗山製菓)とすみっコのコラボカフェもやってました。かわいい~~。
新潟駅はでかかったです!
南口近くには「タマ公」がいました。
タマ公は実在した忠犬で、飼い主を二度にわたって救ったんだとか。白山公園をはじめ、数か所タマ公像があるそうです。(商店街にいた子も見ました!)
メスだったそうで、乳がちゃんと作られているのもいーですね。まめ子の腹を思い出しました。
そして新潟駅で一番良かったのは、万代口のこの風景。
今、この形のバスターミナルって珍しくないですか? これもまた「夏のぬけがら」的でした。しかし万代口バスターミナルは今まさにロータリー型への工事中で、今度訪れるときにはもうこの光景はないのかもしれませんね。
工事の様子。工事のアレが朱鷺だったことはお伝えしておきませう。
新潟を訪れたのは、真夏と夏の終わりでした。駅近くから漁協のマーケットから歩き、途中で暑すぎてムリになりレンタサイクルを借りました。
もっと早く借りればよかった……と思うたものの、プラプラ歩きながら「夏のぬけがら」的な風景をたくさん採取できたのはよかったことです。(※『夏のぬけがら』とはとある名盤のタイトルであり、われわれは特定のコノテーションを以て「ぬけがら的」という形容を愛用しているのですが、ご存知ない方はなんかこういう感じが「ぬけがら的」なんだな、と思っておいてください)
商店街。時間が早かったからかまだひっそり。信号機が横長なのはどうして?
漁協は海へと流れる信濃川沿いにあり、付近は町工場や工業施設が多かったです。
お花たち
孤高の蛇口、奥にパイロン。光る蛇口って「ぬけがら的なもの」のひとつ。
色の抜けた看板はイラストも字体もちょっとレトロで、いつからあるのやろか。
神社がありました
漁協のマーケットは提灯がにぎやかでお祭りのよう。はよ着きすぎて食堂が開いてませんでした。
路上で出遭ったもも太郎のぬけがら。
「もも太郎」というのは(またも)新潟のソウルフード的な氷菓で、もも太郎なのに桃味ではないのだそうです。Tシャツやグッズも見かけました。
暑さのあまり、そのへんで買い求めてたまらず路上でかじり始めてそのへんに袋を捨てたのかしら。「ご当地ぬけがら」との出遭いでした。
新潟記事が続きますが、新潟の犬糞看板をまだupしていませんでした。
やたら人間ぽい犬(自らフン袋を持っているうえになんかを教え諭してるふう)は犬糞看板界にはよくいますが、この子は隣の子と兄弟のように同じ笑顔を作っています。
「散歩中はつなをつけましょう」、「つな」という言い方は今どきちょっと珍しい気がしますね。
上と同じく「新潟市住みよい郷土推進協議会」の作成ですが、画風が違いますね。
この犬何持ってるんや? と思ったら、上の犬と同じく自らのフンを持っているのでした。青いだけでフンとして認識するのが難しくなりますね。
こちらは新潟市の設置。
頭部が噴水になったようなこの者が犬キャラかと思ったら、左、犬を連れてますね。こやつは何ものなの? そしてすごくいい笑顔でフンを出す犬よ……。